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岩見沢駅2

冬の駅本屋  1991年2月撮影

蒸気機関車が消えた後も北海道へ旅する際はなぜか岩見沢に立ち寄る(といっても乗り換えなどでの乗降が多いが)機会はけっこうあった。特に目立った観光地への下車駅ではないのだが、これはやっぱり旅の目的がローカル線の訪問など「鉄道旅行」のスタイルであり、各線への乗り換えなどがある岩見沢で乗り降りすることが必然的に多くなったからだろう。

塗装は変われど頑張っていた711系 1991年
 
ホームの名物「ばんえい競馬」の像をバックに室蘭線のDCが発車待ち
駅前にさりげなくあった「憩いの場」1980年8月

蒸気機関車が消え、機関区も広大なヤードもなくなり、万字線も幌内線も廃止された。いつのまにか名物の「イクラ弁当」などを売る駅弁屋さんの声も過去のものとなり、ついには立派な駅舎まで焼失してしまった岩見沢駅・・・。しかしその刻んで来た歴史は永遠に消えるものではない。鉄道の要衝・岩見沢は今でもここで乗り降りした人々の心の中に生き続けていくことだろう。

そして私にはある夢がある。それはここ岩見沢を中心とした一大鉄道記念館構想である。北海道鉄道の発祥の地である手宮と幌内へのレールは消えてしまったが、まがりなりにもそれを記念した鉄道博物館が共に建てられている。道都・札幌を中心として栄える函館本線に生き続ける駅・岩見沢はいまも昔も交通の要衝であり、多くの施設が消えたとはいえ「汽車のにおい」を色濃く残している。この両端の施設のレールを復活させ、さらに岩見沢からやはり鉄道の町である追分・石炭の夕張を含んだ総合的な鉄道・産業遺産をめぐる「鉄道記念館ゾーン」を形成し、そこに蒸気機関車を運行するのである。こういったプランはすでに何度も考えられたことだろう。現実問題としては経費・維持管理などいろいろな面で可能性は低いことはわかっているが、ファンの「夢物語」としてならいいだろう。岩見沢を中心にした「北海道の鉄道発祥の地を走る蒸機列車」!手宮の「静」が、苗穂のC623が、追分のD51320が、そして忘れてならない9600が歴史の演出者として記念館をめぐる列車を牽いて走る・・・。壮大なロマンを抱かせるそのシンボルとしていつか岩見沢駅が蘇る夢を見ていたい。

岩見沢駅・エピソード

風景印

駅に近い岩見沢三条中郵便局の風景印(風景入通信日付印)は1998年9月1日より使用開始をしたが、その図柄は「JR岩見沢駅舎(焼失前)にメタセコイアとバラ・ハトを描く」というもので、あの駅本屋が見事に背景として描かれている。図柄の対象物が消えるとほどなく印影も変更されることが多いのだがいまはどうなっているのであろうか。 参考岩見沢三条中局風景印

駅弁

岩見沢といえば「イクラ弁当」が有名で、駅弁大会でも人気があった。しかしながら数年前に業者は販売をやめてしまい幻の駅弁となってしまった。他にも「とりめし」「シウマイ」などがあったが、私にとってはここに掲げたD51のイラストが入ったお弁当が印象に残っている。

300円という安さも魅力だったのだろう
ゆかりの保存機

駅より少し南へ下がった「みなみ公園」にD5147とC57144号機が屋根付きで大切に保存されている。どちらも岩見沢第一機関区に所属して最後まで活躍したゆかりの機関車である。

まだ青空保存だった頃のD5147 昭和56年撮影

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