保存C5757

C5757 東京都世田谷区 大蔵運動公園公園に保存

小田急線の成城学園前からバスで15分ほどの大きな運動公園の一角に保存されている。


 
公式側キャブ ナンバープレートはない (右)非公式側にはナンバープレートがある

プレート以外の銘板はすべて失われている。代わりにペイントされている換算標・最終全検日・ATS表記も整備時に書き換えられて いるものの、位置などもそのまま踏襲しているのでやや奇異に感じる。

一段高いところに展示されているので近くからだと見上げるかたちになり迫力がある。

履歴などの説明板 人生になぞらえた情緒的な文章は他の保存機に見られない特徴的なものだろう
運転室内は立ち入り可能だがかなり荒廃したのか透明板で塞がれてあり、ボイラー付近までは入れない
正面 スノウプロウを付けた精悍なスタイル 晩年とは副灯の撤去、ふたつあった尾灯などがなくなっている。
寒空の中、露天だがさっそうとたたずむ姿には感動を憶えた
デフ下部に見える白線は何かの掲示の跡だろうがお召し装備の装飾帯のように見え、何となく似合っている
保存場所は成城学園駅行きのバスが発着する停留所からすぐのところにある

C5757履歴
昭和13年(1938)5月、川崎車輛製造(製造番号1921)。新製後、宮原区に配属。主に山陽本線で働き、20年に岡山へ移動、その後金沢区を経て23年に仙台、翌年渡道し小樽築港区へ配置、道内の主力機として幹線筋で活躍。室蘭、苗穂区と移動し49年に岩見沢一区へ移動、ここで「日本最後の蒸気機関車牽引旅客列車」を牽いたC57135などとともに「最後のC57(5両)」の1両に加わり51年3月1日付けで廃車となった。


現役時代のC5757

室蘭本線 栗丘駅に下り旅客列車を牽いて到着した57号機 昭和50年9月(以下同)
室蘭本線 苫小牧駅にて小休止中 
室蘭本線 登別駅を勢いよく登別を発車していく57号機 

C5757にまつわるエピソード

最後のC57たち


昭和50年夏以降、日本最後のC57となった北海道岩見沢第一機関区配置のメンバーは、38、44、104,135,144の5両であった。 役目を終えた同機のほか、最終旅客列車を牽いたおなじみの135号は交通博物館を経てさいたま市の「鉄道博物館」に、44号は愛媛県の西条市に、144号は終焉の地・北海道岩見沢市にそれぞれ保存されている。また解体されてしまったが38号の動輪が栃木県の小金井駅前と大田原市にそれぞれ保存、5両より少し早く廃車になった149号の動輪が新潟県の新津鉄道資料館に保存されている。


お召し列車の牽引


同機の最大のエピソードは、小樽築港時代の昭和29年(1954)8月、昭和天皇の北海道御巡幸の際、室蘭本線と函館本線(未確認)でお召し列車の牽引の栄誉に浴したことであろう。8月9日は函館本線・室蘭本線 大沼ー長万部ー虻田(現・洞爺)、伊達紋別ー東室蘭(8/9大沼ー長万部 D51333(函) 長万部→東室蘭 C5757説もあり)、8月10日は室蘭本線・夕張線 登別ー苫小牧ー追分を、8月21日は函館本線 狩太(現・ニセコ)→札幌(小樽ー札幌牽引)を 牽引したとある。
なおこの北海道御巡幸でお召し列車を牽引(または予備機として整備)した蒸気機関車は本州部分を含めC57126、★C5746(補機)、☆C5761、☆C57170、C576(補機)、★D51333、★C5757、D51277、C5883、☆C5862、★C58106、C573、予備D51564 C57141 C58421 D51660 C5791などがおり、まさに蒸気機関車全盛の感がある。(★は現在静態保存されているもの、☆は動輪が保存されているもの)


「50番台」の仲間たち


同機の前後の兄弟機のうち、ひとつ上の兄・56号も奈良県加茂に保存されているが、この機関車も昭和34年(1959)4月に皇太子殿下(現・今上天皇)の伊勢神宮御成婚報告旅行の際の御乗用列車を牽引しており、連番で皇室の御乗用列車とお召し列車を牽引した兄弟機がともに保存されているのも幸運なことであろう。 その他52号の動輪が京都府の嵯峨野観光鉄道 19世紀ホール 第2 53号の動輪が東京都中央区の中央区天賞堂に、そしてこれは過去のものであるが54号の動輪?が当時の国鉄仙台駅前に展示されていたという記録もあり、57号の仲間も意外な形で現在も残されている。


近くの兄弟機
この大蔵運動公園から南東に約20キロほどのお隣大田区入新井交通公園にはC5766号が保存されている。57号との大きな接点はないが9番違いの弟機であり、晩年の南九州・宮崎で活躍したC57の1両である。画像はこちら


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