保存 C58304

C58304 山形県新庄市 金沢公園に保存 2018年7月

JR奥羽本線・陸羽西線・陸羽東線の新庄駅から徒歩5分ほどの静かな公園に屋根付きで展示。当初は定期的に整備されていたが近年は荒廃気味で訪問時は塗装は外板などの痛みが激しく、解体の恐れもあると思われた。


後部はプレートもない ただ塗装の剥がれなどは少ないように見えた
前照灯のガラスも破損、ナンバープレートもない 過去に塗られた各所の白線などがやけに目立つのが痛ましい
説明板 これだけは書き直されているのか鮮やかだが、配置経歴に一部間違いがある
 
キャブ周り 機関士側・助士側とも窓枠破損をはじめ外板の剥がれなど損傷が激しい ナンバープレートだけは本物で赤色で存在

最終全検の「46-6-12土崎工」表記が残る その横には保存後の整備の記録が
動輪付近も整備すればまだまだ立ち直りそう
非公式側を遠目で見る C58のスタイルは崩れていない
緑の豊かな公園の中なので機関車も光線状態によっては輝いて見えた
保存場所の屋根は立派なものだが風雪を凌ぐには開放部が大きいかもしれない 新庄は豪雪地帯でもある
特に他の遊具などは見当たらない広々とした公園内に保存

このC58304はその後2021年ごろから有志によって再整備が開始され、途中中断もありながらかつての姿を取り戻しつつある。お話によればナンバープレート(木製)の製作や、各所の傷んだ外板や窓枠などの修理も行って行きたいとのこと。痛みの激しかった同機にとってこの上ない幸せなことで、整備に携わっている方々に頭の下がる思いがする。現在整備中の姿はこちら


C58304

昭和16年(1941)11月、川崎車輛製造(製造番号2598)。主に東北地区に配属され活躍する。一関区では大船渡線が職場だったがその後横手区に移動してからは主に構内の入換作業に従事していた。廃車は昭和46年(1971)11月SLブーム中ではあったが比較的早い時期に現役を降りた。


エピソード
C58304の仲間たち
同機が保存されている新庄には機関区があってC58が配置され、蒸気機関車末期の運用として主に陸羽西線を担当(陸羽東線への貸し出しなどもあった)していたが、同区には陸羽東線の小牛田(陸東石巻管理所)のC58も顔を出していた。陸羽西線のC58の運用は昭和47年(1972)10月に無煙化され、その半年後の昭和48年(1973)4月の陸羽東線も無煙化によって当地のC58の煙は消えた。
その時点で小牛田に所属していた(あるいはその前後に所属)C58は廃車後周辺にほとんどが保存されたが、近年解体されるものが多く、中山平の356、西古川の19、仙台市(のち利府)の365、築館町(のち栗原市)の122(震災被害による)、三春町の328(会津廃車 現在一部保存)が消え、今も残っているのは会津坂下の215、上山市の231、岩出山の114、石巻市の228の4両だけになってしまった。なお陸東・陸西が活躍場所ではなかったがC58として横手の所属だった304が新庄市に健在で、さらに秩父鉄道で動態保存されている363もかつて新庄区に配属されていたC58である。 そのほか晩年の東北では主に会津若松の入換機として最後を迎えたC58もいて何両かが保存されたがこちらも解体されてしまった。16(震災被害による)、354(利府町 老朽)で最後は九州へ転属した275(新庄ー志布志)だけは茨城県笠間市に健在である。 304は元来、一関や横手のカマだが、この「C58の里」出会った新庄に保存され、鉄道の町だったことの記憶の一端になっていることは貴重な存在だと言えよう。

現在整備中の姿はこちら

現在のC58304

整備の進む現在のC58304 令和7年(2025)7月撮影

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