D511001

長野県千曲市 更埴体育館前に保存 撮影2005年元旦

かつての信越本線(現・しなの鉄道)屋代駅の西方にある体育館前に鎮座している。


 
守護矢に守られ雪化粧に赤ナンバープレートが鮮やか。 右は簡単な経歴を記した説明板だが内容はほぼ正確。
道路沿いが非公式側だが小道具の駅名標はマッチしている。
あたりが雪に覆われているのでこのカットだと雪中に停車して発車を待っているようにも見える。
D511001

昭和19年(1944)4月13日 三菱重工製(製造番号419)。各所に簡易設計を盛り込んだ完全戦時型(決戦型ともいわれる)の第1号機でそのため949から空き番を設けて1000番台を名乗った。(950ー954は胆振縦貫鉄道からの編入機)新製後長岡へ配属されその後も坂町・直江津・新津など信越・羽越路の機関区を移動し約30年間「日本海縦貫線」での輸送に貢献した。47年秋の羽越電化で御用済になるかと思われたが最後は木曽路に転じ、長野型集煙装置などを装備して木曽福島区で電化までの期間を過した。廃車は無煙化後の昭和48年7月1日。

エピソード
同機は昭和19年の三菱製だが、現役晩年には「菱船」の小形製造所銘板を取付けていた。
画像と銘板の説明はこちら

また同機のひとつ下の弟機1002号 (昭19ー4ー20三菱製 製造番号420)もともに羽越路を中心に活躍した仲で、1002はもっぱら坂町ー酒田に所属し新津の1001とは毎日のように顔を合わせていた。廃車は47ー12と若干1001より早かったが1002は47年10月の鉄道100年記念に走った八高線の記念列車の牽引機に選ばれ、10月の数日貸出されて関東のファンに印象づけた。またこの時一緒に坂町区から貸出されたのがあのD51498号機であった。

現役時代のD511001

木曽福島機関区に憩う ナンバープレートはまだペンキ書き 48年3月
こちらも機関区で整備中の姿 48年5月

※晴天時と運転室内部などの画像は吉野富雄様の『五条川鉄道写真館』を御覧下さい。画像はこちら


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