D51238

長野県木祖郡 木祖村民センター(郷土館)に保存 撮影・昭和50年8月

保存されて約1年あまりの頃の姿。中央本線の薮原駅に近い木祖村民センター(「木祖村郷土館」併設)の敷地内に保存されており、青空保存だがまだそれほど疲弊はしていなかった。また管理も公共施設内ということで行き届いており、木曾ならではの木製の説明板なども完備していた。また前照灯も現役末期のシールドビームから標準のものに交換されるなどスタイルもアップしていた。


当時建っていた味わいのある説明板。特産の木曽檜を利用したものだろうか。履歴中心の記述で保存の経緯などは記されていないが立派なものだった。現在は所在は不明。

銘板類もしっかり残っていたキャブ回り。木曽路の配置は中津川だったが[木]の区名札が

D51238

昭和14年(1939)2月18日 鉄道省苗穂工場製(製造番号2)。新製配置(14ー2ー27)は北海道生れにもかかわらず関東地区でこれも珍しい御殿場線の山北区であった。その後18年5月に新鶴見に移り戦中ー戦後の混乱期を過す。30年2月に高崎一へ移動し約8年関東地区を走ったのち38年10月会津若松(一時期は磐越西線管理所とも称す)へ移動し「会津路のD51」としても活躍。会津地区のD51運用がなくなった47年10月に同僚の435とともに木曽路(中津川)へ移動し約1年間最後のひと頑張りをして48年7月20日に廃車となった。木祖村への引き渡しは同年12月7日。


エピソード

同機の兄弟は前後がほとんど国鉄工場製のもののため、竣工年月日などで前後で異なる場合もあるが237(苗穂区製造1号 13年10月)ー242(同6号 15年2月)までは同工場竣工順である。兄の237は工場1号機でもあるので現在も生誕の地で大切に保存されている。また弟の239ははるか本州の西端の下関や長門で働き49年までファンの良き被写体となった。
なおD51の230番台としては他に231(東京上野)・232(秋田市)が静態保存されている。
また保存機ではないが苗穂工場には約五分の一で製作されたD51237・239の2両の模型があり、イベントなどで活躍している。なぜか238号が外されているのも不思議であるが。

※その後North Fox様より「238号の模型も苗穂工場で製作された」という御指摘がありました。したがって237ー239の3両の模型が存在するわけですが、現在運転会などで煙をあげている模型が果たして何号機なのかは不明とのことです。


現役時代の238号

昭和47年8月 会津若松にて 呑み鐵様御提供
正面から見た姿 シールドビーム2灯になっていた。
テンダにはA型重油装置のタンクが搭載されていた。

木曽路転属後の姿 48年3月 中津川区

D51238保存機画像の御案内

リンクさせていただいている吉野富雄様主宰の五条川鉄道写真館にも最近のD51238の姿がありますので御覧下さい。


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