保存 D51238 

D51238 長野県木曽郡木祖村 木祖村村民センター前に保存 昭和50年(1975)8月撮影

JR中央本線、藪原駅近くの「木祖村村民センター(郷土館併設)」の敷地内に保存されている。これは保存されて約一年余りの頃の姿で、当時は青空保存ながらまだあまり疲弊していなかった。また管理も公共施設内ということで行き届いており、木曽ならではの木製の説明板なども完備していた。現役末期からの変更は長野工場型集煙装置の撤去、前照灯のシールドビームから標準のLP42への交換などがあげられる。(シールドビームの副灯は東北時代から変わらず残存)

近年の姿(44年後) 2019年7月撮影

その後、年を経て保存環境も変わり、屋根付きとなった。また説明板や「やぶはら」の駅名標などもデザインが変わっている。シールドビーム副灯はなくなっている。


木曽の山々を背景に佇む バックは村民センター(上:1975年 下:2019年)

当時建っていた味わいのある説明板。木曽の木材を使用したものだろうか。履歴中心の記述で保存の経緯などは記されていないが立派なものだった。現在は内容は変わらないが簡単なものに変更されている。
後方からのサイドビュー(1975年)。後方に中央本線が見えるので当然車窓からもこの保存機を見ることができる。

非公式側キャブ(左:昭和50年、右:令和元年)

鉄道省苗穂工場製の立派な銘板が付いていたが、近年ではなくなっている。区名札は[木]が入っていた(同機の木曽路での所属は中津川)のは木曽福島区というわけではなく、所在地の「木祖村」にちなんだものだろうか。仕業票も入っていた。

他の木曽路に保存されている機関車と同じようになカーブ状ではなく、いかにも素朴な木を使った屋根と柱の屋根は風景に馴染んでいる

正面を見る 補助灯の台座を除けばすっきりとした外観になっている。なお集煙装置設置のため短縮された煙突は装置が撤去された後もそのまま短くなっている。公式側のキャブ周りは、ナンバープレートの位置が下がっているのはタブレットキャッチャー設置のためだろうか(キャッチャー自体は残っていない)こちらの製造所銘板は健在。


D51238

昭和14年2月(1939)、鉄道省苗穂工場製(製造番号2)。北海道生まれながら新製配置(14-2-27)は関東地区でこれも珍しい御殿場線の山北区であった。その後18年に新鶴見に移り戦中ー戦後の混乱期を過ごす。昭和30年2月に高崎 一区へ移動し8年間関東地区を走ったのち38年10月、会津若松(一時期は磐越西線管理所とも称す)へ転出、「会津路のD51」として活躍。会津地区のD51の運用が終了した47年10月に同僚の435号機とともに木曽路(中津川区)へ移動し約一年間最後のひと頑張りののち48年7月20日に廃車となった。


エピソード

会津若松区で最後の運用に残ったD51は238・435・1108の3両で、435は会津から中津川へ移動し木曽路で活躍後さらに長門区へ移動し山陰本線を最後に廃車解体されたが、同機の動輪と思われるものが遠く広島県で保存(放置?)されている。画像はこちら。また会津で廃車後仙台に保存(のち利府の車両センター)された1108号は再整備されぬままに近年惜しくも解体されてしまった。


同機の兄弟機は前後がほとんど国鉄(鉄道省)工場製のもののため、竣工年月日などが前後で異なる場合もあるが237(苗穂工場製造1号 昭和13年10月)ー242(同6号 昭和15年2月)までは同工場の竣工順である。兄の237は工場第一号でもあるので現在も生誕の地で大切に保存されている。また弟の239ははるか本州の西端の下関や長門区で働き、昭和49年(1974)までファンの良き被写体となった。
また D51の230番台としては他に231(東京上野)・232(秋田市)が静態保存されている。また保存機ではないが苗穂工場には約5分の1で製作されたD51237・238・239の三両の模型があり、運転会などで使用されている。(North Fox様よりご指摘がありました。ありがとうございます)


現役時代の D51238

会津若松時代のD51238[会] 昭和47年(1972)8月 呑み鐡様ご提供
正面はシールドビーム2灯 テンダにはA型重油タンクを載せていた

中央西線時代のD51238[中] 昭和48年(1973)3月 中津川区にて

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