線路・台座・説明の碑と一通り揃った状態で保存されているがやや荒れ放題の状態
江田島の大須山防空砲台へ向かう最中、道路脇に慰霊碑とSLの動輪が置かれていた、とのことです
碑文には「昭和53年8月 大須小学校PTA寄贈」とあるところから、かつての広島県の小中学校への動輪設置ブーム?とも関連しているのかもしれない。ただ大須小学校は2006年3月に統廃合のため廃校となってしまい、動輪や他の記念碑だけが取り残されて放置状態になってしまったのだろう。(この動輪がある場所が大須小学校の跡地かどうかは不明)
この碑文での気になるところはこの動輪の主とされるD51の履歴で、D51435は確かに昭和15年9月25日製造だが、日本車輌製ではなく日立製であり、また廃車年月日も6日ほど異なる。活躍した線区も名古屋、米原付近の東海道本線や山陽本線、呉線などで活躍とあるものの、実際の435号の履歴(後述)とは異なる。このあたりの謎(説明板の履歴が間違いなのか435号以外の動輪なのか)も今後解明していきたいと思う。
D51435
昭和15年9月25日、日本車両製造(製造番号810)。新製後福島に配置、東北本線を中心に働く。30年代後半に磐越西線管理所(→会津若松)に転じ、磐越西線を新たな職場とする。昭和47年10月の同線の無煙化(貨物運用で残っていた仕業)に伴い、僚機238とともに中津川(岐阜県)に移動し、中央西線の無煙化(電化)までのわずかな間木曽路で活躍した。その後さらに西の山口県長門区へ転属し本州最後のD51活躍線区となった山陰本線で働き49年3月1日、同区にて廃車となった。
主な配置履歴
昭16福島 22福島 23福島 30福島一 32福島一 36福島 42磐西管 43磐西管 45会津若松 46会津若松 47会津若松 48中津川〜長門 49年3月1日長門区廃車× ※磐西管=磐越西線管理所(会津若松)エピソード 会津最後の3両のD51
同機の前後のナンバー機はいずれも解体されて現存しない。同機のエピソードといえばいま「SLばんえつ物語号」が走っている磐越西線で現役最後のD51となった3両の仲間についてであろう。47年10月に新津〜会津若松の蒸機の仕業(日中線と野沢までのC11の運用は除く)が無煙化された際に運用についていた若松区のD51は、238・435・1108の3両だった。 各機のその後は1108が廃車となり仙台市に静態保存、238と435は中津川区へ移動し、木曽路の電化まで一年弱ともに働いた。238はこの電化で廃車となり沿線の木祖村(藪原)に保存された。最後に残った435はさらに働き場所を与えられ、西日本の長門区で山陰本線で本州最後のD51走行区間で活躍し、ここで廃車になった。この3両が435は動輪だけだがいずれも現在その姿を見られるのはまさに「会津魂」のこもったD51の力なのだろうか。