JR長野駅に近い市立後町小学校の跡地に展示されている。
※後町小学校は2013年3月に統廃合のため廃校になり同機は跡地に残されてしまったが、ここに長野県立大学(仮称)後町キャンパスの建設が決まり建設工事が始まった。幸いにも同地での保存は継続されることになり、2016年に保存場所が若干移動した。その際再整備もされ以前にも増して美しい姿を保っている。なお同校の開学は2018年4月の予定。
キャブ立ち入り用の柵?のようなものも補強されており、いずれ公開された時の準備もされているようだ
同機の見学は工事現場に入る事なく元の通用門の横の道から撮影することが出来る。特に危険はないが周囲への工事車両などの動きには注意したい。運転室への階段なども整備されているがもちろんまだ非公開のため入る事はできない。また非公式側には入ることは出来ない。
D51549履歴
昭和15年(1940)10月29日、鉄道省長野工場製(製造番号8)。新製配置はお膝元の長野であった(15-11-5)が、19年8月に新津へ移動。一ヶ月ほどでさらに広島第一区へ移り西日本で働く。戦後の25年7月の吹田転属を経て29年3月に最後の配属地中津川へやってきた。以来48年の中央本線電化による無煙化で廃車になるまで19年間を生れ故郷・長野に縁の深い木曽路で過した。その縁あって45年2月の篠ノ井線無煙化の際と48年夏の木曽路でのさよなら列車の2回の「さよなら列車」の牽引機にも選ばれている。(昭和48年7月9日、中津川〜木曽福島をD51827との重連で牽引)