D51777 愛知県刈谷市 交通児童公園に保存 2018年6月撮影

JR東海道本線・名鉄刈谷駅から徒歩9分ほどの線路沿いにある交通公園に保存されている。定期的に整備がされているので保存状態は良い


助士側 デフ・ランボードの白線はまあわかるが、前照灯と連結器のシルバー塗装は是非が分かれるところ
公式側 機関士側は柵が設置されている ロッドの赤に合わせたのかテンダ台車の枕バネの赤はちょっと勿体無い
正面 伝統の中津川区の青ナンバープレートが輝く

キャブ周りと動輪 製造所銘板と換算標があれば最高だ 動輪はよく磨かれている
煙室扉を模した説明板
側面はオープンで見学しやすく 屋根も明るい

隣接の児童館の入り口には「ミニ展示スペース」があり、いろいろな鉄道グッズや資料などが展示されていた。保存会の方々の熱意が感じられる

名鉄三河線が刈谷を出てJRをオーバークロスするあたりでちょうど保存場所を通る、D51側からそれを見上げる。このオーバークロス部分のすぐ近く、公園の向かい側あたりにこの付近で列車から転落事故にあった箏曲師の宮城道雄氏の供養塔が建っている。


現役時代のD51777

今日は貨物がなく重連回送のような姿でやってきた 中央本線野尻駅 昭和46年(1971)5月 デフにうっすらと「つばめマーク」の落書き?
中央本線落合川駅にて連結を待つD51777[中] 昭和45年(1970)12月

D51777

昭和17年(1942)9月、汽車会社製造(製造番号2260)。新製後、多治見区に配属されたがすぐ福井に移る。その後米原などを経て多治見に戻り、さらに名古屋へ。昭和32年(1957)に中津川区へ移動し中央本線(名古屋ー中津川ー塩尻)で働く。SLブームの頃は「ラッキーセブン」(スリーセブンではなく)ナンバーのカマとして人気があり、一時デフに大きな「ツバメマーク」の落書きのようなものも描かれていた。廃車は昭和47年(1972)9月22日。ほぼ生涯を中部・北陸地区で過ごしたD51だった。


エピソード

D51777のお店?

同機が最後に活躍していた木曽路の中央本線宮ノ越駅で降り、旧中山道宮之越宿の道筋に「D51屋」と書かれた店舗?があった。地元の人たちの集会所のようなところだが、その表示の画像に往年の同機の活躍する姿の写真が使われていた。店の名前も「よらまいか D51や」である。また宿場時代の屋号「藤本屋」の看板も下がっている。

同機の兄弟機のうち、二つ上の775号はともに晩年を木曽路で過ごしたカマ(775は木曽福島区)だが、幸いにも保存され、所縁の木曽福島駅横に保存されている。画像はこちら


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