謎の列車「冬将軍」

奥羽本線 峠駅に停車中の「冬将軍」9431M 撮影1990(平成2)年2月

「冬将軍」といえば、厳冬期の寒波の来襲を形容する天気用語でもあり、最近はNHKの天気予報でヒゲをはやした鎧兜の武将のイラストを思い浮かべる方も多いでしょう。(最近は春や夏、秋と季節を問わず登場していますが)その「冬将軍」という愛称を持った列車が平成2年(1990)の2月に奥羽本線の福島ー米沢で走った記録があります。
しかしこの列車は趣味誌の臨時列車情報や運転後のレポートなどで掲載された記録がほとんどなく、どんな運行形態でどんな目的で走ったのかがよくわかりません。そんな時刻表で偶然見つけたこの列車に乗車した記録がありましたのでご紹介します。


福島駅の三番線ホームから発車。臨時ではあるが正面の種別表示は「普通」となっていた。

この福島方先頭車は車両番号を控えたメモが見つからりませんが、編成表示の「S−37」から仙台電車区(仙セン 当時)のS−37編成とわかり、調べたところクハ455−310で、元は直流急行型の165系からの改造車でした。

米沢方の先頭車はまだ前照灯が原形だったクモハ455−37

冬枯れの平野部を行く

特に企画列車風の雰囲気もなく普通の静かな乗客もまばらな車内
当時の時刻表より抜粋

当時の時刻表(1990年1月号)によると、運転日は1990年2月3日から25日までの23日間。福島ー米沢間で一日一往復、普通列車であり、時刻表上にも「臨時」などの表示はなく実際の種別表示も「普通」でした。(日によっては「臨時」と表示したこともあったらしい)だが時刻表には福米間は全駅通過の表記がされ、一見快速運転のようにみえました。なお巻頭の「臨時列車のお知らせ」はほとんど初詣関連のものでこの列車は掲載されておらず、欄外にも注意書きすらありませんでした。車両は当時の仙台電車区(仙セン)の455系の3連が基本のようでした。


旅のお伴は福島で買った「焼肉弁当」

ちょうどお昼時なので駅弁もおともにしたい。そこで種類も豊富な福島駅の中からどれを選ぶかいろいろ迷った。本来上りの同列車なら有名な米沢駅の「牛肉弁当」が一番ふさわしかったのだが下りではそれが味わえない。ではせめて豚肉ではあるが同じ肉の駅弁ということでこれに決めてのんびりした車内で味わうことにした。

途中ですれちがった50系客車の普通列車
笹木野・庭坂と過ぎ、いよいよ板谷峠に向かって上り勾配が始まる。まだ車窓には雪はみられない

  峠駅にて  

雪の積もった峠駅では「峠の力餅」の立ち売りの方がでていた。

前述したように時刻表上は福島から米沢まで全駅通過の表示でしたが、実際は各駅停車と同じで スイッチバックの駅では引き上げ線に入ってホームに停車していた記憶があります。だが客扱いはせず運転停車だったのでしたがってドアも開かなかったようでした。ドアの開閉があったならそのあたりのスナップも残っているはずですが、赤岩、板谷、大沢の各駅の表情はネガに記録されていません。それともこの3駅は通過線を通っていたのかもしれません。
その中で峠駅ではドアも開けて外に出る事ができました。名物の「峠の力餅」の立ち売りも出ていたので最初からのドア開けサービスとしての峠駅停車だったのかもしれません。「外に出て列車の撮影もどうぞ」というようなそんな車内アナウンスを聞いたような記憶もあるのですが・・・。

買い求めた「峠の力餅」
雪が舞う峠駅に停車中の455系3連「冬将軍」号

この列車のことを思い出した時、記憶が曖昧で「たしか純粋なイベントや臨時列車ではなくこの区間の定期列車に「冬の旅情」を味わってもらおうと粋なマークを掲載して運転したんだっけか」と覚えていました。時刻表にも何本もの「冬将軍」の愛称表示があったとも記憶していたのですが、しかしながらあらためて調べてみると運行は一日一往復のみでした。


スノーシェッドを横目に走り出す 窓を開けての車窓の楽しみもいい思い出

この「冬将軍」という列車名は冬の豪雪地帯を走る奥羽本線の峠越え区間と米沢の名家・上杉氏を考えて命名したのでしょうか。またヘッドマークのデザインは円形で上に「冬将軍」の文字、中央の円形内に米沢の郷土玩具笹野一刀彫の「お鷹ぽっぽ」のイラストと毎年2月上旬に行われる「米沢雪灯籠祭り」の灯籠をデザインしたものでした。そして下部に運転期間の「2/3ー25」の表記が入っていました。

約一時間の旅が終わり米沢駅に到着した

推測ですがこの列車は冬の豪雪地帯であり4駅連続のスイッチバック駅を含む峠越えの区間でもある奥羽本線の福島ー米沢間の難所で知られ、、また特徴ある区間として鉄道旅行者にも注目されていました。そんな中、路線の近代化がすすみ、同時に山形新幹線関連工事の一環としての奥羽本線の標準軌への改軌がこの区間でも開始され、あわせて名所にもなったこのスイッチバック方式の駅もまもなく廃止(駅の移動など)されることになり、その名残を惜しんでもらおうとの当局の配慮でこの列車が計画されたのかもしれません。運転日も豪雪時で沿線の雪景色も味わえ、ちょうど期間中に開催される「米沢雪灯籠祭り」への利用も兼ねていたということもあるでしょう。この運転後、翌月の3/10には赤岩駅が、また9月には残る板谷・峠・大沢駅のスイッチバックが廃止になりました。


この日の編成(仙セン S37編成)

←福島 クハ455−310+モハ454−37+クモハ455−37 米沢→


※追記

当時、この列車に乗車あるいは走行写真を撮られた方はおられたはずですが(事実この乗車した時にも2〜3人の方がカメラを向けていました)、ネットで検索してもほとんど画像も記事もでてきません。20日以上運転していたのですからおそらく記録や乗車された方も少なくないと思います。この記録を見て再び発表される方がいらっしゃれば嬉しいです。


※この謎の列車「冬将軍」ですが、探していたパンフレットが見つかりました。

平成2年の2月3日(土)から25日(日)まで、米沢市の実行委員会による『米沢・味とふるさとまつり 米沢風土ぴあ 冬将軍』という名のイベントの一環としてこの列車が運行されたようです。さまざまな米沢の冬を楽しむ企画の中に「JRローカル雪見列車」というのがあり、これがこの列車だったようなのです。その内容はパンフレットの文によると「・・・福島、米沢間にそびえる壮大な吾妻山系を日本で最後と言えるスイッチバック方式によるローカル線で峠越え。白いファンタジアと白いサバイバルが同時に体験できます。また、イベントのヒロインでもある雪っ娘によるあったかーいおもてなし、ガイド・民謡に耳を傾けながら名物「峠の力餅」や漬け物、湯茶などの熱い振る舞いがうれしい、雪国情緒いっぱいの企画です。」となっていました。

※そのパンフレットの表紙と「雪見列車」についての簡単な記事がこちらです。


駅の風景は前年のものなのだろうか。50系列車のようにもみえます。

挿入画像がディーゼルカーになっているのは適当なものがなかったからでしょうか。米坂線の列車のを使っているのかもしれませんがスイッチバックの旅という以上、電車か客車列車の方がよかったのでは・・・。

HPにアップしたとおり、私が乗車した時ににはこのようなおもてなしや行事などはまったくありませんでしたし、沿線の駅などでもまったく告知されていなかったと記憶しています。結局このイベント(雪見列車)の詳細を記したパンフレット、参加要項などは不明のため果たして実際行われた日があったのかどうかもわかりません。もしかしたら休日だけだったので出会えなかったのでしょうか。それにしても不思議な列車であったことは今も変わりません。


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