71年夏 汽車を追って 46年8月 その3

能登のふるさと列車とC56 その1

 
金沢駅で発車を待つ「ふるさと列車おくのと号」牽引のC58140[七]

「ふるさと列車 おくのと号」の旅  昭和46年8月20日(金)

七尾線再び

46年8月20日 金

粟津0647ー521レ長岡行→金沢0739
金沢0806ー◆9301レ急行「ふるさと列車 おくのと号」珠洲行→七尾→穴水1018

宿泊先で一夜を過した翌20日は撮影旅行の2日目となったが、この日は昨夏も訪れた能登の七尾線へ行くことにしていた。ただ去年とはやはり状況が異なっていて、津幡口(金沢ー七尾)で活躍していたC58は46年の春までに引退してしまい、残っている煙は七尾以北のC56貨物数本だけになってしまっていた。後にはこれだけでも「能登のC56」として小海線なきあと多くのファンを集めたこの区間だが、当時の私にとっては「こんなに本数が少ないんじゃあ・・」と二の足を踏ませるような気持ちもあった。
しかしベースの宿泊地に近いこともあって蒸機が走っているならやっぱり訪問しておかなくてはと思い直し、計画に組み込んだのだが、その決断の背景には七尾・能登線にはSL牽引の臨時列車「ふるさと列車おくのと号」が運転中ということもあったと思われる。ともかく20日は早起きしてまずは始発駅金沢へと普通列車に乗り込んだ。

『三日目の朝は曇っていた。でも新鮮な空気がその朝を爽やかにしてくれた。おばさんが作ってくれたお弁当を持って粟津の駅へ行った。今日はいま観光地として次第に脚光を浴びはじめている能登路を走る七尾線に行くつもりで穴水までの往復切符を買った。』

 
※赤ナンバー・“七”の区名札・運用標にメーカーズプレートと一通り揃っていた140号のキャブ回り。ふるさと列車は「 七尾区臨時202運用」となっていた。右は赤帯が引かれた専用客車。「おくのと」のサボも入っていた。

今回の訪問では走行写真ではなくこの列車に乗車する、ということを目的にしていたのでまずは発車ホームへと向かう。観光列車といっても特に全席指定というわけではなかったので混雑を気にしつつ煙のあがっている方向へ行くと4両の旧型客車とC58で編成された「ふるさと列車」が発車を待っていた。幸い夏休み中は毎日運転、また今日は天候もいまひとつということもあってどうにか席をとることができた。

ふるさと列車 おくのと号

『・・・8時6分に汽笛一声とともに発車した「ふるさと列車おくのと号」は能登半島の旅の一歩を踏み出した。次の停車駅・津幡までは北陸本線を通るわけで、架線の張られた線路上を勢い良く煙をあげて走るSLに何か蒸機時代の終焉を思わせたが、津幡を過ぎ七尾線に入ると蒸機本来の姿を取り戻し、ローカル線の旅情を満喫させてくれた。』

古風に見える車内の標示 車内のスナップはなぜかこれぐらいしか撮っていない

この「ふるさと列車 おくのと号」はSL牽引を「売り」にしたイベント列車のはしりともいえるもので、大阪万博後の集客策として当時の国鉄が大々的に取り組んだ『DISCOVER→JAPAN』キャンペーンの一環として金沢局がちょうどブームの渦中にあったSL=蒸気機関車に注目し、すでに「懐かしい」存在になりつつあった汽車の牽く列車を仕立てたのであった。運転路線もまだ煙の残っていた七尾線に近い能登線があり、美しい自然と歴史のある観光地・能登をPRするにも格好のものとなったのである。「赤帯」をまいた旧型客車や素朴な郷土料理を提供するために改造されたお座敷車両の連結などの工夫や、日本再発見を唄ったキャンペーン、またSLブームにのってこの列車の人気もあがり、翌年のSL牽引の金沢延長などの発展もあって結局48年9月末まで約3年間も走り続けたのであった。
 まだ各地にSLが健在だった時期に運転されたこのような列車は数少なく、「さよなら列車」などの行事を除くとある一定期間運転されたものは、長野鉄道管理局が45年夏に信越本線で走らせた「ファミリーD51号」(D512牽引)がまず思い浮かぶ。そしてこの「おくのと号」が続くわけであるが、その後もSLブームが終焉(肝心の汽車が完全引退するまで=つまり沿線で蒸機を走らせられる環境が完全になくなるまで)するまで全国でこういったイベント列車が運行されたのである。主なものでは前記のもののほかに「木曽路D51号」・「快速 木曽路」ー長野局・名古屋局(中央本線 塩尻ー木曽福島ー中津川 ※時期によって運転区間が異なる また区間はSL牽引区間のみ表記)、SLのべやま号ー長野局(小海線 小淵沢ー野辺山)、「柳生号」・「D51伊賀号」ー天王寺局(関西本線 湊町ー伊賀上野 ※運転区間はさまざま)などがあった。
 なお昭和47年10月の鉄道100年記念では全国各地でそれを記念したSL牽引列車が多数運行され、梅小路蒸気機関車館のメニューの一環としても当初の計画に沿っていくつかの線区で定期的に運転もされた。

時刻表欄外の列車の説明

車内は団体さんなどでけっこう賑わっていたように思う。というのは楽しみにしていたはずのSL列車に乗車はできたものの、やはりこういったイベント列車は本来の生活列車とは違った雰囲気があるのでなんとなくあきてしまったような気がしてスナップもほとんどする気にならなかったため、当時の印象を思い起こすことができないのである。目玉の「お座敷食堂車」にしてものぞいてみたがお小遣いを使うのがもったいなく、せっかくの「蒸機牽引列車の食堂車体験」をすることもなくじっと席に座って過していた。
 外の天気もどんよりとしたもので、ひなびた田園風景とはいえ去年もながめているので案外単調に見えた。そうこうしているうちに1時間半ほどが過ぎ機関車が交換される七尾に到着してしまった。ここでC58140からC11328にカマが付け替えられさらに先へと向かう。機関区などの様子もスナップしていないのでここでも外に出た記憶はない。結局下車する穴水まであとわずかの旅を楽しみ、私の「ふるさと列車」乗車体験は終わったのであった。


穴水にて

能登線へ入る前に給水をして発車を待つC11328[七] ヘッドマークが似合う

 
「ふるさと列車」も図柄に入り記念も兼ねていた穴水駅のDJスタンプ
  小雨の穴水駅スナップと旅行前に参考にした昭和46年8月13日付の毎日新聞(夕刊)の記事

“赤ナンバー”のC56とともに

穴水のひととき

『10時18分に穴水に着いた。ぼくの旅はここでおしまい。下車して発車を撮る。そこまでは良かったが駅に戻ったとたん雨がザッザッ降ってきた。「またか!」と思ったがどうにもしょうがない。雨が小降りになるまで駅で休むことにした。・・・撮影の方は11時30分頃雨があがったので少し歩いてポイントを決め、11時55分頃山越えをして下りてくる上り貨166列車を撮った。』

10時29分に駅近くで「おくのと号」の発車を見送ったあと、私は輪島寄りに少し歩いたところで次の撮影をすることにした。雨に洗われて緑も鮮やかな田園風景の中をやってきたのは形式入りで赤ナンバーのC56124[七]であった。

田んぼの中をやってきた上り貨166レ

軽快に走る「能登のシゴロク」キャブも赤ナンバーだ

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