小浜での行程を終え、次は上中に移動した。時間の関係で今日は小浜以遠には行けず敦賀へ戻るかたちとなるが、ちょうど小浜の次の急行停車駅が上中でうまい具合に蒸機のダイヤもここで下車すると効率が良いのであった。ただ煙や勾配区間などよりもまず「本数を撮りたい」という考えから次の撮影ポイントを選んだということで、果たして上中周辺がどのようなロケーションなのかもわからないまま「わかさ2号」で降り立った。
上中の前後も他の駅と同じようにしばらく歩くと田園が広がるのどかな風景だった。時間がないのでまずは新平野(小浜)方へ少し歩いた所で12時50分発の上りの客車列車を待つ事にした。
緑の中を走っていったC58を見送る間もなく、次駅で交換してきたのかすぐ下りの貨6975レがやってきた。こちらは上中に向かって若干の勾配があるので煙もほどよくあがってゆっくりと近付いてきた。カマはさきほど小浜でスナップしたC58252だった。
6975レのあとは30分程時間があくので今度は若狭有田(敦賀)方へ歩いてみることにした。このあたりは山越えでもないので勾配もほとんどなく、どこへいっても同じような風景なのだがそこがまた日本的というのか私にはのんびりしてて気持ちのよいものに感じられた。その風景のなかを走って来る汽車なら煙がなくてもそれだけでいい、というような気持ちにさせてくれるのが小浜線沿線の姿なのだなとも思った。
さて駅を少し離れた田んぼの近くで待つ事しばし、13時40分頃上り貨976レがやってきた。今朝ほど機関区で休んでいるのを見たC58325[敦一]が先頭だったが、これからしばらく働くのだろう。
時間も午後二時を過ぎた。まだまだいろいろなところで撮影はしたいのだが、田園風景以外での小浜線の撮影地というとガイドでは海(湾)沿いを走る所や敦賀近くのあたりがあげられている。しかし列車は時間の都合もあって大幅な移動は出来ず、結局帰る時刻とも照らし合わせてまた小浜へ戻ることにした。
小浜では今朝ほどDLとの練習運転を見た給水塔のところでやっと蒸機が先頭の写真を撮る事ができた。さきほど撮影した貨976レのC58325だが、バックのレンガ造りの給水塔や駅の風情など「これぞ小浜」と象徴するような「汽車のある風景」がこの一枚だろう。325は赤ナンバーなのでモノクロだと文字などがつぶれてしまうのがちょっと残念だったが、このあと力強く発車してゆくシーンも見ることができ、なかなかの演出をしてくれた。
976レのあとは下りの貨977レだが、こちらはきょう二回目となるDE10との重連でやってきた。ダイヤがあれば練習運転のスジはわかるのだが、当時は成りゆき任せで行動していたので残念なところなのだが、この日はもう充分蒸機は撮影したので落胆はしなかった。DLの次位はC58278[敦一]だったが、このカマも敦賀区では古株のC58であった。そして私が今日出会った9両目のC58で、半日でもこれだけのカマを見ることができる小浜線の「煙の濃さ」にあらためて『来てよかったな』という実感が湧いてきたのであった。
今日の予定はこれで終わりとした。小浜から961Dに乗り敦賀に戻る。ちょうど旧キロハ各下げのキハ26302が連結されていたので、ゆったりとしたシートに腰掛けることができ、帰路も楽しい行程となった。途中三方で上りの客レと交換したが、牽引は小浜線で最初に撮影した走行写真である921レを牽いていたC58223[福]であり、今日の最後にふさわしいスナップとなった。
日帰りの小浜行だったがDLの入線も少なくけっこう本数も撮影できた。また海・山・田園や駅周辺のたたずまいも実に日本的情緒にあふれていた沿線もすばらしかったという想いが募り、今後の日程を調整してもう一度なんとか訪問を考えることとし、夕暮れの敦賀を急行「立山」であとにした。
※キハ26300代・・昭和43年前後のモノクラス制実施(1等・2等をやめ、旧1等はグリーン車に、旧2等が普通車となる。記号はそのままグリーン→ロ・普通→ハのまま)に伴い、設備の劣ってきた20系気動車の1等車を格下げしたもの。キロ25→キハ26400代、キロハ25→キハ26300代となった。1等・2等合造車のキロハ25は全15両が格下げされたが、乗車したキハ26302(旧キロハ25 2)は当時敦賀第一区(金ツル一)に301・304とともに在籍して小浜線等で運用されていた。線内にはこのほか305・306・307が福知山におり、中込にいた303を除くと残りは四国におり、本州ではこのあたりだけに見られる形式であった。格下げといっても1等車はシートのカバーなどを外した程度で設備はそのままで、ゆったりとしたクロスシートは乗客に喜ばれていた。302はのちにキユニ26に再改造され、松本で生涯を終えた。なお製造当初は3等級制だったため、「2・3等合造車」であった。
小浜線(西舞鶴からが下り) 当時の駅名
敦賀ー西敦賀ー粟野ー東美浜ー美浜ー気山ー三方ー藤井ー十村ー大鳥羽ー若狭有田ー上中ー新平野ー東小浜ー
小浜ー勢浜ー加斗ー若狭本郷ー若狭和田ー若狭高浜ー三松ー青郷ー松尾寺ー東舞鶴ー(舞鶴線)ー西舞鶴ー真倉ー梅迫ー淵垣ー綾部ー(山陰本線)ー高津ー石原ー福知山
難読駅・・三松(みつまつ)、青郷(あおのごう)、松尾寺(まつのおでら)、梅迫(うめざこ)、石原(いさ)
注
画像の中でC58171と223の煙室扉周りなどに白塗装などの跡が見られるのは3年前の昭和43年(1968)10月に運転されたお召し列車の整備の名残りと思われる。この列車は福井国体の際に運転されたもので小浜線と宮津線内をC58が牽引した。10月4日に敦賀→上中間をC58171[敦一]が、10月5日に若狭高浜→東舞鶴→西舞鶴→豊岡をC58223[豊](当時は豊岡区在籍)+C5856[福]の重連であった。なお10/4もC58223+56とする説もある。