粟津0127−528レ米原行→敦賀0329
4日間の撮影で少し疲れ、また夏休みの宿題の事もあって中断した撮影行を再開し、23日の未明、また叔父に送られて粟津から米原行きに乗車した。こんな時間に旅立つのもまた無計画のなせるわざかもしれないが、この列車は新潟からの長距離夜行列車で、終着までまだ時間があるせいか車内はすっかり静まり返っていた。
敦賀には3時39分着。まだ深夜の時間ではあったがここの待合室で小浜線の一番列車を待つ事にした。夜行列車の発着が頻繁だった当時はこの時間でも賑やかで、売店まであいていた。所在なげにうろうろする野良猫の相手などをしているうちに時間も過ぎ、始発列車の改札が始まった。
敦賀0448−950D東舞鶴・京都行→小浜0556
撮影記より『敦賀の始発列車はなんと12両の長大編成だった。しかしこの中の8両が回送だという。旅客用はその半分の4両という有様。でもこれにはわけがあって始発だから敦賀の気動車区の車両をこれから始業させるためにこの列車で回送させるからだそうだ。・・・僕は旅客用の一番後ろのキハ26141に乗り込んだ・・・。』
950D編成
←東舞鶴 キハ5525+26 7(2両 東舞鶴行)+5524+26141(2両 京都行)+20503+20501+55172+26302+20502+20398+20373+キハ20372(8両 回送) 敦賀→
車窓は霧の中だったが小浜が近づくとそれも晴れ、陽も照りだして絶好の撮影日和になった。
小浜に着くと971レを牽くC58278が待っていた。まずこの列車から今日の撮影が始まった。軽くスナップしたのち、東小浜方に歩いて発車を撮った。前回も同じようなところで撮影したので今回は反対側でカメラを構えてみた。一日の始まりにふさわしく、C58278は気持ちよく煙をはいてやってきた。
小浜0633−952D西舞鶴行→若狭本郷0651
小浜を発車するとすぐ500mぐらいのトンネルをくぐる。ここを出ると車窓右側に小浜湾がぐっと近づいてきてまもなく勢浜(せいはま)に着く。海に沿って走る小浜線だが意外と海岸線に近づくところは少なく、このあたりが目立つ程度でなかなか海をバックに、という撮影地は少ないらしく、多くの撮影地ガイドでも、「小浜線と海」というイメージで紹介されるのがこのあと若狭本郷から和田にかけての区間で、通称「青戸の入江」と呼ばれている。今回はまずここでC58と海をからめて撮影しようと計画し、9時51分、若狭本郷で下車した。
海をバックに気動車などを撮影したのち、本命の蒸機列車の撮影ポイントを探しているうちに田んぼに足をつっこんだりして時間をとってしまい、このあとの2本は普通の田園風景をゆく姿をとらえることになってしまった。少し予想とは違うがこれもまた「煙のある風景」であり、いいものかなとも思った。7時20分頃の客933レは福知山区の運用で、カマはC5857号機。先日の敦賀駅でも同列車を撮影しているがその時は222号機だった。
このあと下り貨物列車を1本撮影して少しポイントを変え、海を前面に望遠で上り客922レを撮影したが、国道を行くトラックと並走する平凡なものになってしまった。
このC58263号は昨夏(45年8月)七尾線津幡駅でスナップして以来の再会で、七尾線の無煙化(ふるさと列車牽引を除く金沢〜津幡〜七尾のC58運用の廃止)後、同僚の202・212とともに敦賀にやってきたトリオの中の一両で、七尾以前も首都圏最後のC58の仲間として八高線などで活躍していたナンバーだった。その当時を思い起こさせるものは煙室扉の十字形ハンドルなどに見られ、懐かしい思いがした。
263号に出会えたことで、これで今回訪問した時点で敦賀一(9両)・福知山区(3両)に在籍していたC58のすべてのメンバーをカメラに収める事ができた。ただ202号は残念ながら庫内のテンダの姿だけになってしまったが・・・。
※小浜線を走ったC58の詳細については「若狭路のC58 資料編」もご参照ください。
小浜線(西舞鶴からが下り) 当時の駅名
敦賀ー西敦賀ー粟野ー東美浜ー美浜ー気山ー三方ー藤井ー十村ー大鳥羽ー若狭有田ー上中ー新平野ー東小浜ー
小浜ー勢浜ー加斗ー若狭本郷ー若狭和田ー若狭高浜ー三松ー青郷ー松尾寺ー東舞鶴ー(舞鶴線)ー西舞鶴ー真倉ー梅迫ー淵垣ー綾部ー(山陰本線)ー高津ー石原ー福知山
難読駅・・三松(みつまつ)、青郷(あおのごう)、松尾寺(まつのおでら)、梅迫(うめざこ)、石原(いさ)