小浜線の撮影を終え、大鳥羽駅から西へ向かう。すっかり日の暮れた道をたどり西舞鶴へ、ここで一時間半ほど待ってさらに舞鶴線に乗り換えて西へ向かった。福知山に着いたのはもう夜の11時近くなっていた。すでに真夜中だが当時は山陰本線や福知山線の夜行列車が頻繁に停車していたので駅は起きており、ひとりでも特に不安にならずにすんだ。待合室でごろ寝をして目が覚めたのが日付も8月24日(水)に変わった0時を50分ぐらい過ぎた頃、ようやく先へ行く列車が到着した。のちの山陰夜行鈍行で脚光を浴びる829レ(当時は下関まで直通していた)である。この列車に40分ほど揺られ、深夜の和田山駅には1時36分に着いた。
すでに接続の播但線の列車はなく早朝までまた待合室で過ごす。さびれたイメージの駅だったが蒸気機関車を撮影する同好の士も何人かいたようで、夏の暑さのなかでうとうとしながら夜明を待った。
1971年7月の時刻表では「632レ」で蒸機牽引となっているが、乗車したのはディーゼルカーだった記憶がある。「あれC57じゃないや!」と思いつつ初めての播但線に足を踏み入れた。有名撮影地の生野越えは後回しにしてまずは南部の姫路口のC11を狙おうと福崎駅に降りた。
福崎駅に着くと向かいのホームには下り貨物691レを牽くC57156[豊] が停車していた。私が初めて見た播但線の蒸機だった。
ダイヤ改正や運用の変更などがあるのではっきりした列車番号がいまとなってはわからないのだが推定でこの列車だと想像しました。以下は計画ノートに予定していた列車とその結果
ぎりぎりまで粘ったが計画していたC11の列車がほとんどこないので歩いて走行写真を狙うのをあきらめ、次の目的地・生野へ行くことにした。ちょうど急行が停車するのでそれに乗り、播但線のハイライト生野越えに向かった