1971年7月の時刻表では「636レ」で蒸機牽引となっているが来たのはディーゼルカーだった。今朝ほどの平坦線区間に戻り、寺前という駅で降りた。ここで2本のC57列車が着発するダイヤになっていたので撮影本数を稼げると思ったからで走行写真よりたくさんの機関車を、との思いが強かった。
寺前駅に着くと2本のC57牽引列車が相次いで到着する。12:50頃下り貨695レが到着、13時10分頃に上り貨692レが到着ののち、13時22分に692レが発車し29分に695レが発車と効率よく撮影することができた。
あまり長い時間播但線にはいられないのでこれで帰途につくことにした。次に乗る急行は寺前には停車しないのでいったん福崎まで進んで戻る事にした。
さらに乗り継いで福知山へ。もう夕方だが接続時間があるので福知山機関区を訪問することにした。当時福知山機関区には山陰本線の運用はほぼなくなっていたが、福知山線や綾部から入る舞鶴線、小浜線、そして臨時列車や倉吉線用などに蒸機の配置がありまだまだ煙の濃い機関区だった。D51は舞鶴線や福知山線、C58は舞鶴・小浜線、C57は主に臨時列車用、C11は倉吉線(1両が倉吉へ出張)や入換などに働いており、46年3月では17両ほどの配置があった。この他敦賀第一区のC58も小浜線から福知山まで入ってきていた。
このD51499号は当時もファンの間で「特別な切り取りデフなどを装備したD51」として有名なカマで、ぜひ会いたいと思っていた。集煙装置や重油タンクの重装備に加え、何と言っても目をひくのが大型の切り取りデフ(後藤工場製)でこの499号と727号のみに装備された特殊なものであった。727号も休車ながらここに配置されていたが、当時はすでにデフは取り替えられていた。499号はこのあと関西地区へ移動し「加太越え」などで活躍したのでファンの目に触れる機会も多く、廃車後は三重県に保存されてその偉容を今に残している。またナンバーから判るように同機は動態保存機のD51498号のひとつ下の弟機でもある。
二台並んでいたD51499と944。似たような番号の並びだが、どちらもこのあと亀山や奈良に転出して関西本線などで活躍した。944号もデフに装飾を施され、「柳生号」や「伊賀号」などの先頭に立ち、SLブームを盛り上げた1両である。
福知山機関区の訪問後、すっかり日も暮れてあとはまた北陸本線の粟津へ今日中に帰らなければならない。そのルートは行きにたどってきた舞鶴・小浜線経由だが、「最後のお楽しみ」も残していた。それは福知山18:54発の西舞鶴行939列車で、もちろん蒸気機関車の牽引である。この旅最後のSLの旅客を牽いてくれたのは敦賀第一区のエース・C58171号だった。もはやカメラを向ける気力はなかったが、その汽笛やドラフトで夜汽車の旅情を味わいながら、「やっぱり蒸気機関車はいいなあ!」の想いを新たにし、撮影行の締めくくりとした。
敦賀2211ー205M急行「くずりゅう5号」→粟津2330そして敦賀で急行「くずりゅう5号」に乗り換えて粟津23時30分、二日間で小浜・播但線を回ったSL撮影行が終わった。その12へ続く
福知山・豊岡(和田山)・姫路一区の蒸気機関車配置 昭和46年3月31日現在 ※訪問時とは異なる場合もあり
★印は廃車後、静態保存(または動輪など一部分)されたもの‥‥保存後解体されたものも含む
福知山機関区
D51 ★254・★463・★499・727(二休)・★831・★895・944・1018(二休)
C58 57・222・223
C57 41・★87(一休)※保存されたがのち解体・★128
C11 ★40・174・211
豊岡機関区(和田山支区)
C57 ★11・23・★34・★46・★52・★93・94・★95・113・137・★156・★189
(34・52は動輪、93は保存後解体され動輪など部品が保存)
姫路第一機関区
C11 177・178・179・278(一休)・★292・305(二休)・★311・★331・345・363