71年冬 南東北の蒸気機関車 その4

そろそろお昼になった頃だが、今日はここまでで9本の列車を撮影することができた。出会った9600は別列車で同番号のものを除くと7両、撮影時に坂町・米沢両区に配属されていた9600は全部で16両(米沢8・坂町8 メンバーは46-3の配置表なので異なる場合もあり)あり、休車や入換仕業、また長井線を担当しているカマもいるので一日で全てに会える可能性は低いが列車本数の多さと相まって、一日いれば十分堪能できるところと言えた。

タンク車を従えて混合列車となり、宇津峠に挑む客125レ 79607(米)

さて、宇津峠での午後の一番手は客125レ。築堤のカーブをゆっくりとしかも豪快に駆け上がってきた。アングル、背景ともに良く、私の米坂線のベストショットと言えるかもしれない。


宇津峠での撮影 

上り客128レ 今回であった唯一のDL牽引列車

今度は築堤からやや移動して上り列車を狙う。128レは運用の都合か不明だがDE10が牽いてきた。一応シャッターを切ったが今となってはこれも貴重な記録である

上り貨7165レ 49681(坂)

再び築堤側で今朝沼沢駅で発車を撮った49681が下り貨7165レを牽いてやってきた。7両の貨車でも精一杯力を出している感じがした。そのあとはカラーに挑戦したが光線状態も発色も悪くはっきりしないものになってしまった。

上り貨166レ 番号不明

下り貨167レ 69677(坂)
上り客130レ 番号不明(米)

画像ではナンバーが確認できないが集煙装置が見えるので米沢区のカマのはずである。運用表では前日に坂町まで入っているので今日これまで撮影したナンバー以外のもののはずだが‥‥。


これで今日の撮影予定はほぼ終了した。手ノ子駅へ戻り、最後は9600の牽引する客車列車に揺られて坂町へ向かうこととした。

手ノ子1739ー129レ坂町行ー羽前沼沢1758→坂町1927
最後は9600旅客列車に乗って 129レ 29668(米)

坂町からは19:47発の836レに乗り、新発田に20:19に到着した。この列車も蒸気機関車(D51)牽引だったはずだがなぜか記憶も記録もない。
今晩の宿はA君のご親戚の家にごやっかいになることにした。お宅は坂町から乗り継いだ新発田にあった。明日は来年の電化が迫るなか、多くの蒸機が活躍している羽越本線へ向かう予定である。


米坂線の9600 

昭和46年(1971)3月31日現在の配置(9600のみ)

坂町区 29622・39685・49681・59661・59663・69633・69677・79633
米沢区 9634・29668・29689・49632・49649・59634・79606・79607

手ノ子駅が作製した列車発着時刻表(昭和46年1月1日発行)によると、当駅を通過(停車)する蒸機牽引列車(全て9600)は一日18本もあり、そのうち最終列車の1本を除く17本が撮影時間帯にあるという煙の濃い路線であった。本州では貴重になっていた9600の牽引する客車列車も四往復8本(うち一本は夜)あり、乗っても楽しめる路線であった。なお一部にDLの運用もあったようで、この日も一本だけ客車をDE10が担当していた。単に機関車の都合だけだったのかもしれないが‥‥。この他、臨時列車や区間列車の設定もあり、また途中の長井駅で接続する長井線(赤湯ー今泉ー荒砥)にも9600がまだ走っていた。

米坂線の無煙化は訪問した約一年後の昭和47年(1972)3月のことで、一部の運用やC11の区間運転などを除くとこの時点で両区の9600は引退となり、ほとんどの9600は廃車ー解体の道を辿ったが、坂町区の29622と69633は最後のご奉公のために北海道へ渡りそこで生涯を閉じた。また廃車後保存されたカマはなぜか沿線ゆかりの地には一両も保存されず、ただ一両、坂町区の39685だけが遠く埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)に保存された。しかし数年前に老朽化のため解体されてしまった。また米沢区に在籍した59634も九州・後藤寺区に転属後、紆余曲折を経て現在は「九州鉄道記念館」に保存されている。なお現在新潟県立自然科学博物館に「29622」のプレートをつけた9600が保存されているが、北海道で廃車後に取り違えられたのか実車は同時期に廃車になった59609(こちらも道内で保存され29622の特徴が顕著)であると言われている。このほか一桁ナンバーの9634の煙室扉とプレートも新津の鉄道資料館に展示されている。

米坂線を訪問する前に私は手ノ子駅に9600の運用の現状を教えてほしい旨の手紙を書いたところ、実に丁寧なご返事をいただいた。それは封筒に手ノ子駅の列車発着時刻表と「米坂線のキューロク 蒸気機関車」という駅員お手製の撮影案内が入っていた。案内には米坂線のダイヤ、勾配票、配置機関車、注意事項などこれ一枚で撮影の全てがわかるという素晴らしいものであった。当時はこういったSLブームに対しての地元駅のファンへの心配りが各地にあり、とても嬉しかったものである。最後にこの案内に書かれた一文を紹介して米坂線の撮影の1日を締めくくろうと思う。9600に対する愛着にあふれた心温まるものである。

「連続3359Mに及ぶ25/1000の急勾配に全力をふりしぼり宇津峠にいどむキューロク、正に米坂線のハイライトです。谷間にこだまする哀愁のこもった大正の汽笛、そして独特の排気音は私達の心をとらえずにおきません。手ノ子ー羽前沼沢間16Kは、素朴で頑張り屋のキューロクの表情を余すところなく演出してくれます。どうか素晴らしい米坂線のキューロクをお持ちかえりください。」
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