新発田に泊まった翌日は羽越本線へ行くことにしていた。日本海縦貫線にはまだ多くの蒸機が健在で 多くの撮影ができると考えていたからで、その中でも海岸沿いを行く有名撮影地としてガイドにも紹介されていた通称「笹川流れ」を中心に一日過ごしてみることにした。
今回の撮影記は計画ノートなどが見つからないため、撮影した列車番号や経過などが一部不明になっています。当時の記憶や昔のダイヤなどをたどって記述していますので若干の間違いなどもあることをご容赦願います。新発田6時6分発の青森行き833列車で出発。この列車はD51の牽引であり、早速蒸気機関車との出会いに嬉しくなる。牽引はD51907[酒]だった。
833レは坂町で15分ほど停車するのでその間を利用して隣接の坂町機関区を訪問した。短時間ではあったが同区のD51や米坂線用の米沢区の9600などに出会うことができた
なぜか留置されていた39679。本来は酒田区のカマ(入換用)だが、仕事がないのか一休で疎開されてきていたのかもしれない。この機関車はのちに北海道へ移動し、昭和51年(1976)3月に国鉄蒸気機関車(動態保存を除く)の定期仕業の最後を飾ったカマである。右は昨日よく出会った79607。こちらも米沢区の9600で、集煙装置の枠が残っているのが特徴
坂町を6時54分に発車し、一時間弱の7時48分今川(臨)で降りる。この駅は信号場から昇格していたがまだ正式の駅ではなく臨時駅だった。ただ普通列車の多くは停車し客扱いをしていた。(その後国鉄民営化の昭和63年(1987)4月に旅客駅に昇格)列車撮影には最適の駅であった。
この発車の後、何本か蒸機牽引列車が通ったはずだが記録にない。撮影ポイントへ急いで歩いていたのかもしれない。次のコマは10時半頃の「白鳥」の通過になっていた。撮影は主に今川(臨)から新津方面へ向かって桑川駅間でのものとなった(記憶が定かでないが越後寒川方面へは行っていないようだ)
このD51135は初期の長工デフ装備機で(Nー1型‥‥関分類)羽越路には装備機が何両か見られた。なおこの時期(冬期)には珍しく、煙突に皿型の回転式火の粉止めを取り付けたまま