71年冬 南東北の蒸気機関車 その6

新津駅のD5129(酒)

新発田で発車を待つ824レのC57167(新

新発田0721ー1824レ新津行→水原0746

新発田での一夜を過ごし今日は新津を経て会津へ向かうことにし、7時21分発の1824レに乗車。この列車は当時2往復だけ残っていた新津のC57が牽く定期旅客列車で(別に荷物列車があったが)そのうちの区間列車で村上始発の新津行き。牽引はC57167だった。これで当時新津に配置されていたC57のうち3両に会えたことになった。(会えなかったのは19と181)

爽やかな朝の中条駅に停車中

途中、中条駅で小休止したのでスナップしたが、このまま新津まで乗るよりどこかで発車を撮ろうということにしてちょうど他の蒸機列車にも会えそうな水原駅で下車した。C57が停車している反対側のホームに停車していたのが下り貨883レでD51611(新)が先頭に立っていた。このカマは羽越殿下の後北海道に渡り室蘭線などで活躍した。

 
水原駅で発車を待つ833レ D51611(新)
豪快に煙を上げて水原を発車した1824レ
続いて貨833レ D51611も発車していった
そのあと上りの貨物列車も到着した。こちらはD51512(新)で廃車後は新発田駅近くの公園に保存され、今もその姿を見ることができる。

水原での撮影を終え、後続の922レ(DD51牽引)に乗り込む際に到着した下り客835レもスナップすることができた。牽引は昨日桑川駅でみたD51766(酒)だった。

水原0721ー922レ( DL)→新津0800

水原での早朝のひと時でC57を含め4本の蒸機に会えたのも幹線ならではの列車の多さだろう。それゆえこの秋の無煙化が急がれていて、この区間ではすでに架線柱などが設置されていた


上り貨558レ到着で到着し、切り離されて小休止中の D5129(酒)

鉄道の要衝・新津は羽越本線のほか、信越本線や磐越西線などが接続しているため昔から煙の多い駅だった。訪問時はすでに羽越本線以外から蒸気機関車へ消えていたが、機関区もあり常に多数のD51などが見られた。しかしこの時出会えた蒸機はこのD5129だけでした。


新津0839ー913D急行「あがの1号」福島(仙台)行→会津若松1029
新津からは急行で会津若松を目指した。この間の磐越西線の記憶がほとんどない。すでにSLは無くなっていたので興味がなかったというわけでもないがなぜか混んでいて座れなかったことだけを覚えている。


只見駅で発車を待つC 11248

会津若松1102ー325D会津滝ノ原行→弥五島1211
会津若松からはまず会津線(滝ノ原側)へ行くことにした。この時間からどこか走行写真を撮影できるところはと列車ダイヤを見ながら考えて、時間帯で会える列車を調べておいたので、下車駅は弥五島とした。

弥五島は片面ホームだけの駅だがちゃんと駅員もいた

現在の駅名順(会津鉄道…湯野上温泉(旧・湯野上)ー塔のへつりー弥五島ー会津下郷(旧・楢原)

ここから若松方へ戻ったところにあるのが第五大川橋梁で、撮影地ガイドにも紹介されていた。現在はこの橋の近くに臨時駅(当時は休止中)から復活した「塔のへつり駅」があるが、当時はどちらかの駅から歩くしかなかった。 隣駅の湯野上(現:湯野上温泉)との間はかなり歩かなくてはならず結構疲れた記憶がある。

上り貨362レ

三月末の会津ではこの年は雪が少なく新緑のような景色の中での撮影となった。雄大な渓谷の中を行くC11はまさに会津の風景に溶け込んでいたが、惜しむらくは煙が少なかったことだろうか。

下り貨365レ

湯野上1622ー330D→会津若松1710
弥五島駅から大川橋梁を経て湯野上駅まで歩いたのかどうか定かではないが、とにかく湯野上16:22の上りに乗り一旦会津若松まで戻った。今夜の宿は同行者の方が選んでくれた会津宮下の宿だが、少し時間があったので若松の構内をスナップしてみた。


 会津若松にて 

 
構内で待機中のC11235
入換作業に励むC5892(会)

当時会津若松には会津(滝ノ原・只見)・日中線(一部磐越西線)用のC11と機関区や構内の入換用にC11、磐越西線の貨物用の一部にD51が配置されていた。晩年の主役はC11で、数少ない本線運用のD51と入換用のC58は脇役となっていて、ファンの視線を多く浴びていたC11の陰での本来と違う作業に黙々と働くC58は何か寂しそうな感じがした。


会津若松1745ー431レ会津川口行→会津宮下1939
会津若松17:45発の431レはもちろんC11の牽引だった。もはや写真を撮れる時間ではなく夕暮れの会津路から只見川に沿ってブラストを響かせる蒸気機関車の音を堪能しながら会津宮下までを過ごした。そして駅から少し歩いたところにある旅館に泊まったのだがなんという名前だったのか、どのように過ごしたのか全く記憶がないが一日の強行日程で疲れたのかすぐ休んでしまったようだ。


 会津只見線の撮影 

会津宮下駅に到着した424レ C11289(会)

会津宮下0726ー424レ会津若松行きー会津柳津0758
今日は会津只見線を撮影することにしたが、まずは最初の撮影地が会津柳津へ向かうべく、朝の蒸機列車の旅を楽しんだ。

 
※只見線が全通(大白川ー只見間開通)したのは昭和46年(1971)8月29日のことで、この当時はまだ会津側は只見が終着駅で、小出川の「只見線」とはつながっていなかった。

会津柳津駅から郷戸方へ少し歩くと山里を俯瞰しながら小さな川を渡る橋梁がある。ここは銀山川橋梁といい、鉄道ファン増刊117「蒸気機関車撮影地ガイド」の只見線のページで「会津線のムード」と題して紹介された場所で、駅からも近く手軽に撮影できると思っていた。なかなかのいいムードの中、まずは会津ではお馴染みのキハ45系を撮影してウォーミングアップとした。

上り列車 キハ45系 3連

会津柳津発9時6分 客423列車

このあとは列車がないので郷戸駅を経て滝谷駅まで歩くことにした。その間、途中でC11248の牽く貨物列車を撮影した。特に勾配もなく煙のない写真になってしまったが…。

下り貨461レ C11248(会)
滝谷駅を出てすぐ列車が渡るトラス橋の滝谷川橋梁も会津只見線では有名なところだったが、豪快なアーチ橋の撮影地と比べると若干地味であった。ただ駅に近いのが利点で、ここでも二本の列車を撮影することができた。>/p>
ワフ1両だけを従えて鉄橋を渡る下り貨463レ
上り客428レ

滝谷1325ー425Dー只見1452
滝谷での撮影を終えるとしばらく列車はこない。疲れもあったので今晩の帰京までの時間潰しでもないがこの会津線の終着駅だった只見まで行ってみることにした。只見には<先ほど滝谷で撮影したC11248が折り返しの貨物列車が発車を待っていた。

構内にて撮影 上り貨466レ C 11248
 

只見1619 434Dー会津若松1916 会津若松2304 2204レ急行「ばんだい6号」(車中泊)ー上野(翌3月30日)0444着
若松までの車中も帰宅までの記録と記憶もほとんど思い出せない。待ち時間も結構あったはずだがもう疲れていたのだろうか。とにかく五日間で多くの蒸気機関車に会えて十分満足のいく撮影旅行となった。


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