72年春 九州・山陰の蒸気機関車 その3


第三日目 昭和47年(1972)3月27日

三日目の朝を迎えたが、目が覚めると様子がおかしい。広いお寺の本堂の広間に一人で寝かされていた。「しまった!寝過ごした」と慌てて支度をしてY Hを出たがもう計画はダメになってしまい、昨日沿線で知り合った彼との待ち合わせにも間に合わない。初めての一人での宿泊と疲れで熟睡してしまったようだ。とにかく鹿児島本線の電車に乗って折尾まで行ってみることにした。(朝はバスがあった)

福間10:49ー1226M下関・門司港行→折尾11:14・11:16ー733D→直方11:42
直方にて 69642[行]

福間から折尾、乗り換えて昨日と同じく直方に着くとやはり跨線橋からスナップを開始した。眼下にいたのは69642[行]でやや幅の広い門鉄デフ(Kー7タイプ)が特徴の9600だった。

直方13:05ー231D→伊田13:30

伊田駅(現:J R九州・平成筑豊鉄道の駅で1982年、田川伊田駅に改称)

伊田駅で休憩中の39620[直]

構内は広く 側線で休んでいた39620[直]をスナップ、ランボードの白線が鮮やかで9600の構図にぴったりの光線状態だった

伊田14:23ー430D→油須原14:39

伊田から田川線に入り、少し遅くなったが今日の撮影を開始した。この線の有名撮影地は 油須原の前後の勾金・内田(信)と崎山間で、特に崎山方の橋梁が定番の撮影地だったがとてもそこまで行く時間がない。そこで勾配などはあまりないが手近なところでと勾金方向へ歩いて、ちょうど勾配標が登りに変わるあたりで15時を過ぎた頃やってきた上り貨7494レを撮影した。この列車は前2+後1の9600の三重連でダイヤ上は後補機付きだけのはずが何故か先頭に2両9600が連結されており、さらに後補機もあるという「三重連」でやってきた。

勾金(内田)ー油須原 貨7494レ 69615[行]+79669[後]…+29611[後]
二両目は79669で、これは国内での国鉄9600のラストナンバー機だった
列車を押し上げる後補機 29611[後] ロセフ200型も印象的
29611にも当時の九州によく見られたテンダに移設された「型式入りプレート」が付いていた

油須原で解放され、逆単機で戻ってきた29611の逆単485レ
油須原駅遠景 後補機が解放された7494レと下り貨物列車が見える
撮影当時の田川線のSLダイヤ(15時前後の抜粋)

その後、油須原で交換した下り貨431レがすぐくるのでやや勾配が緩く煙は期待できないがそのままここで待つことにした。やってきたのは門デフ(Kー7タイプ)付きの59647[行]だった。

午後の短時間であったが、ここで重連、デフなし、化粧煙突、ラストナンバー、門デフ、型式入りプレート、パイプ煙突、シールドビーム前照灯などいろいろな装備で変わったタイプの9600を色々味わえたのはよかった。そして駅へ戻り、先程の7494レの発車をとらえた。こちらは後補機を切り離したので9600の重連だった。

貨7494レ油須原発車 69615行+79669後

少し物足りないがこれで田川線の撮影を終了し、行橋へ出ることにした。寝坊はもったいなかったがやむを得ない。それでも結構本数も撮れたし9600にもたくさん出会えて満足し次のDCで行橋へ出ることにした。途中崎山駅で交換した69614[行]の貨5495レもスナップ

 
油須原1616ー432D→行橋1638・1652ー525レ→中津1735

今夜の宿も昨日に続いてユースホステルだった。日豊本線の中津駅から比較的近い「普門院」というところでこちらも金剛閣と同じお寺の一部を開放していたホステルだった。九州島内には当時蒸気機関車ファンの多くが訪れる有名なYHがあちこちにあったのだが、なぜか自分は地味なところを選んでいた。中津周辺には田川線が分岐する行橋が近いし北九州のS L撮影にも適しているので選んだのかもしれないが。なおこの「普門院YH」も今はユースホステルは併設しておらず廃業となっている

普門院のスタンプ 「独立自尊」は福沢諭吉の言葉

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