72年春 九州・山陰の蒸気機関車 その4−1

第四日目 昭和47年(1972)3月28日(火)

中津で朝を迎えたが、昨日の寝過ごしなどもあって当初の撮影計画がかなり修正しなくてはならなくなった。色々思案した末、このまま日豊本線を南下して大分に向かうことにした。

中津0748ー523M→大分0944

大分運転所

機関区のある大分運転所はこの数年前までC57を中心とした大型蒸機の寝グラであったが電化やディーゼル化が進んでいた当時は日豊本線の蒸気機関車の運行はほとんどなく、わずかにに残ったC58(大分口の小運転と入換)と本線の一運用と臨時用に残ったC57が1両、あとは入換用の8620だけになっていた。

47・3末の配置表ではC57ー1、C58ー9、8620ー1となっていて4月以降順次煙は消えていった。

昭和47年3月31現在の配置
C58 86・105・112・115・124・224・262・277・350 C57 115、8620 58689

整備中のC58112[大]

撮影許可を得て、運転所に入る。架線の下で蒸気機関車も煙を上げていた。まずは整備中のC58112をスナップ。門鉄デフ(Kー9タイプ)装備の美しいカマで、かつてお召し列車を牽引したこともあった

 
門デフの他にはLP405前照灯、蒸気暖房菅前部設置などが目立つ
整備中のC58112[大]

キャブ周りの表示類(プレート・製造所銘板・換算票・区名札・運用札入れなど)もかける事なく綺麗に揃っていた。コンプレッサー周りの縁取りの装飾も綺麗に残っている。


美しい姿ののC58115[大]

 
庫の中には最後まで残った8620の58689[大]が休んでいた

ラウンドハウス内には久大本線などで活躍していた8620の1両や検査中のC58などがいた。さらにその奥にはC57らしき姿も…。ナンバーがわからず今思えばもっと撮影しておくべきだった。

この画像の奥(C58277の奥)に見えるカマは多分C57で、この時間にここにいるのは1両だけ残っていた115号だと思うが確認はできていない。

この大分運転所の蒸気機関車はこの1972年の夏頃にほぼ終焉を迎え、C57115を除いた機関車たちは廃車もしくは新天地へと旅立っていった。
大分には南延岡区のD51も入ってきたのでそれなりに蒸機の煙は味わえる状態ではあり、貨物のダイヤがあったのでここで給水・給炭をしていた

九州のカマはみな美しく磨かれている。このD511141は戦時型ではあるが、デフやドームを始めかなり改装されていてほぼ標準型の様に見えた。戦時型をうかがわせるのは船底型のテンダだけだろうか。モーションプレートに塗られた白線が鮮やかだった

D511141のキャブ周り(非公式側)、砲金製区名札が光る。区名札と運用票入れと換算票はあるが製造所銘板は紛失している。一番下部の小さなプレートは、小倉工場でX線でボイラー検査を受けたもので、「X小工26・9」とある。

このD511141は製造所銘板が外されている。盗難・紛失かもしれないが、現車は「昭和19年7月31日、川崎車輌製造」のはずである。実はこのカマについては鉄道ファン157号(1974ー5)の渡辺肇氏の記事で「間違った銘板を取付けたカマ」として写真入りで紹介されている。その写真にはナンバープレートの下に「昭19 鷹工」のプレートが付いていた。おそらく工場入場時あたりで取り違えたのであろうが、私の訪問時にはいつのまにか間違った素性を示すものも消えていたということである。

誤用された銘板を付けていた時の1141号(公式側) ※佐々木様御提供

 
給炭台の下にいたD51567[延] 戦後の大型文字のナンバープレートが目立つ

このD51567は廃車後解体されたが、動輪と先従輪一式が揃って保存されている。画像はこちら


大分のお召し装備クインテット
昭和30年代に大分に集まったC58はそのほとんどが当地のC58引退までメンバーは変わらなかった。そして昭和41年(1966)の秋に行われた大分国体の際には同区のC58もお召し列車牽引の栄光に浴し、その任に当るC58105・115・277が本務機に指定され美しく整備され磨きあげられた。またの残りの112・350も予備機として同様に整備され、5両揃って大分の扇形蔵に並んだ美しい姿がファンの記録によって残されている。
さらにこの5両のC58はいずれも門鉄デフを装備(105=Kー10、112=Kー9、115=Kー7幅広、277=Kー7、350=Kー7(関分類)した美しいスタイルでまさに九州のカマらしい「5両の飛翔するC58」を実感させるものがあった。
当時の運用は以下の通り
昭和41(1966)年10月  日 日豊本線 別府ー佐伯 C58115+C58277
昭和41(1966)年10月  日 久大本線 C58277
昭和41(1966)年10月25日 久大本線 大分→由布院 C58115
昭和41(1966)年10月28日 豊肥本線 赤水→熊本 C58105
※なお112号はこれ以前の昭和35年(1960)10月に熊本区に貸出されて豊肥本線でお召し列車を牽引した実績を持っていた。(その当時は門鉄デフは未装備)またC58105の動輪は大阪共栄興業内に展示されている。画像はこちら
またこの仲間のうち112と277は大分から志布志に移動しともに門鉄デフのラストナンバーグループの後を継いで九州のC58の掉尾を飾りともに保存された。(112志布志、277小林市)


これで大分での撮影を終え、この先も未定のままとにかく豊肥本線で西へ向かうことにした


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