大分での撮影を終え、この先も未定のままとにかく急行に乗り豊肥本線で西へ向かうことにした。大分11:48発の急行「ひまわり2号」に乗車
13:49にかつて機関区もあった宮地駅に入る時、車窓に9600の姿が映った。すかさずスナップしたが、ナンバーが79602[熊]。そう、このあと北海道に渡り昭和51年3月に国鉄の最終営業蒸気機関車の1両になったカマだった。これは宮地までの貨797レを牽いてきた運用で、転車台で転向して次の仕業に備えていた
雄大な景色が続く中、一度は見てみたかった「立野のスイッチバック」を車窓から眺め、14:17立野に到着。ここでは本数は減ったがこのスイッチバックを行く9600が有名であり、それを狙うことも考えたがあいにくこの時間には撮影できる列車がない。ただこの後高森線の客車列車があるのでそれを撮影することにした。まずは構内に停車していた14時過ぎに到着していた混126レのC12をスナップした。この後の下り列車は混合ではなく旅客列車になり、もうすぐ発車となる
客車2両を牽くC12222は炭庫の増炭囲いや後面の通風口など、過酷な場所で働くC12の装備も目に付くが、水タンクを挟んでのランボードとキャブ下の白線がカマを引き立たせていた
さて夕方に近くなったが今日の宿を決めていない。無論当初の計画にはなかった行程なのでY Hなども予約はしていない。どうなるかわからないまま、熊本まで行ってしまった。
駅のホームに隣接している熊本機関区は大型機はすでに消えていたが、それでも豊肥本線用の9600や高森線のC12、周辺の支線や入換用のC11がまだ煙を上げていて賑やかさは残っていた。夕方とはいえまだ撮影できるので機関区を訪問してみた。
D51:255 ★482 2両
C12:★222 ★252 2両
C11:36・42・46・61・★62・★86・174・190・191・196・257・259・260・297・298・346・★347 17両
9600:★19680・39680・59670・69616・69665・69680・69699・★79602・79608・★79653 10両
この時点でも配置はかなりの両数になるが、一部は支線などへの出張で不在、また仕業中のものもいるので訪問時に庫内にいたのは10両ほどではなかっただろうか。★は今日出会ったカマ(区以外も含む)
写っているC1162と86は共に過去にお召し列車の予備機や補機を担当したことがある名機。なお背景の煙のほとんどはボイラー稼働中のD51482のもの
構内には稼働機以外に据付ボイラー代用としてD51482が煙を上げていた。このカマは昭和15年小倉工場製でこの熊本に新製配置されてから一歩もここを動かず32年間働いてきた、まさに熊本区の主というべきD51で(最後は南延岡に転出して廃車)、それゆえ他のD51が転出しても最後までここで仕事をしていたのだろう。ボイラーが生きているので整備もされていて綺麗な姿なのも嬉しかった
そして後で気づいたことなのだが、このD51482のキャブに[熊]の区名札が付いていて、それもあの南九州中心の一部の機関区だけに装着されていた特製の「砲金製区名札」だったのだ。
取り付けられている[熊]の区名札、この砲金製区名札は一般的には南延岡・宮崎・鹿児島・都城(支区)・出水・人吉・吉松・志布志の南九州(主に鹿児島工場管轄)の8区に装備されたというのが定説になっている。また後年動態復活した「SLあそBOY」牽引の58654(最終現役時は人吉)が復元に合わせて新しい熊本の「熊」のプレートを装着したが、これは本来の区名札より縦寸法が小さく、文字も明朝体のものであった。
ところが蒸気機関車現役時代にも熊本区には砲金製(もちろん寸法も他区と同じ)の区名札が存在した。それがこのD51482が付けていたものである。カラーでないのが残念だが、ナンバープレートと同じくこちらも熊本区お馴染みの地色が鮮やかな緑色に塗られていたのを覚えている。
機関区を辞し駅で休憩していると夜も更けてきた。このあとどうするか同行の子と相談したのだが結論が出ない。彼が「この際人吉まで行ってみよう。そこでどこか泊まれないか探そう」というので他に方法もなく夜半の列車で夜の肥薩線をたどることになった。