機関区のでの一夜が明け、外から盛んに汽笛が聞こえ落ち着かない。早速区内へ出てスナップを始めたがやはりカマの数は少なく、当然ファンの姿もない。駅前へ回ると「大畑るーぷ線からからでごいちさようなら」の大きな看板が掲げてあり、人吉がそれだけ「矢岳越えのD51」として有名だったことがわかる。その「さよなら運転」はまだ先のようで残念ながら撮影できそうになかった
いわゆる肥薩山線(矢岳越え…人吉ー吉松)用のD51はこの3月の改正で無煙化が完了しており、配置されておた重装備のD51たちは車籍があるものも含めて沿線の側線などに留置されていた。(人吉区内にもいたはずだが訪問時には確認していない)ここを訪問した六日後に「大畑ループ線からさよならD51列車」が走ったのだが、残念ながらそこまで滞在するわけにはいかなかった。なおハレの牽引機となったD51170と687が整備されて機関区にいたはずだがそれらも何故か確認はしていない。その代わりにさよなら当日に機関車に付けられたヘッドマークが事務所に置いてあり、それをスナップしていた
訪問時の蒸気機関派の配置もD51はあるものの姿はなく、肥薩(川線)用のC57と8620数両だけになっており他区のカマもやってこないので区内もさっぱりしているようだった
構内には機関車がもういないので、ちょうど肥薩線の貨物列車が到着する時間になったので少し駅を離れたところで待つ。8:54頃、貨1891レを牽いてC57130[人]がやってきた。その後機関区に戻り、給炭給水をするC57130をスナップした。
人吉機関区 配置(昭和47年3月31日現在)×は一休車
D51 170・x477・x572・x668・687・x1058・x1079・x1151 8両
C57 9・x37・48・100・130・169・176・186 8両
8620 38623・48647・x58654 3両
数は少なかったが綺麗なカマたちに出会い、朝の楽しい時間を過ごし、お世話になった人吉機関区にお礼を言い、さらに南へと向かう。煙は消えたが鉄道名所である「大畑ループ線」を車窓から楽しむこととして「えびの3号」に乗車した。