矢岳越えをしてきた吉松は「蒸気機関車の里」に相応しい交通の要衝でそれでいて落ち着いた雰囲気のあるところだった。主な配置は肥薩・吉都線用のC57・D51(人吉方面以外)、山野線と入換用のC56で、先日まではここに矢岳越えをする人吉の重装備D51も顔を出していた。また昭和46年(1971)の秋まで同区にはこの吉都線と肥薩線(鹿児島方面)を担当していたC55が配置されていて、美しい門デフや形式入りプレート装備、あるいは流線型改造などの特徴があったそのC55たちに会えないのは残念と思っていたのだが、先日訪問した筑豊を走っていたC55のうち2両が吉松に転属し、再び配置されたのである。この情報は聞いてはいたものの、果たして動いている姿を見ることができるのかはわからなかった。
炭台の脇には鹿児島から転入してきたC56156が入換作業中だった。同区のC56は以前は91・99の2両だったが99は廃車(保存されたがのち解体)され、訪問時はこの156とコンビを組んでいた
庫の奥にはC5557が まだ転送されてきたばかりで整備中といった感じで息遣いは感じられなかったが、筑豊で美しい姿を披露していたままの門デフが健在だった。狭い場所なのでなかなかいいスナップができなかったのが残念だった。
この吉都線と肥薩線(鹿児島方面)を担当していたC55は昭和46年(1971)秋に消え、主にそのあとはC57が使用されていて、美しい門デフや形式入りプレート装備、あるいは流線型改造などの特徴があったC55に会えないのは残念と思っていたのが、先日訪問した筑豊を走っていたC55のうち2両が吉松に転属し、再び配置されたのである。
このC5739[鹿]は元梅小路にいたもので京都口の無煙化に伴って最後に残った数両の同僚とともに九州に転属してきた。このほかには89が宮崎に、127が鹿児島である。(そのほかC575が豊岡に、15と190は廃車)
区の外れの側線にはC57124がいたが、どうも休車中で生気がなかった。このカマは吉松ではあまり働くことなくその後鹿児島に移動して入換作業などに従事して鹿児島(九州)では最後のC57の一両になったらしい。
機関区のの撮影を一旦切り上げ、駅前で昼食を撮ったのち12:00頃少し京町方面へ歩いて吉都線からの貨1693レを撮影した。この吉都線と肥薩線(鹿児島方面)を担当していた吉松区のC55は昭和46年(1971)秋に消え、主にそのあとはC57が使用されていて、美しい門デフや形式入りプレート装備、あるいは流線型改造などの特徴があったC55に会えないのは残念と思っていたのが、先日訪問した筑豊を走っていたC55のうち2両が吉松に転属し再び配置された。両機とも転入間もない頃だったが52号の方は元気に活躍を始めていた
同機が装備していた切り取りデフ(K6型…関分類)はこのあと点検に便利なように下部のシリンダー上部をさらに切り取った形に改造されて晩年まで過ごしている)
機関区での撮影をほぼ終えて駅から離れ、13時半頃山野線から来るC56の列車を待った。山里の長閑な風景の中を意外と長い貨物を牽いて国内に残ったC56のトップナンバー91号が正面の型式入りプレートも鮮やかにやってきた。