72年春 九州・山陰の蒸気機関車 その5の3

第五日目 昭和47年(1972)3月29日(水)続き
 

最初北九州だけの予定だった今回の撮影行だったが、なんの因果かついに南の端・鹿児島まで行くことになってしまった。夕暮れに向かう肥薩路をC57に揺られ、14:55隼人着。ここから日豊本線に乗り入れて最終地・鹿児島を目指す。初めて見る錦江湾の向こうにそびえる桜島の姿が実に雄大だった。鹿児島に着き、まだ日もあるので隣接の鹿児島機関区を訪問した。

吉松14:00ー831レー鹿児島15:33 C5739[鹿]牽引

上の画像のC57182は吉松区の所属で電機と一緒に回送も兼ねての運用だったようだ。鹿児島駅にて


鹿児島機関区の扇型庫に並ぶC57たち

扇型庫にはC5772と175は同区のカマ。72は正面形式入りプレートなのだが残念ながら後ろ向きだった

鹿児島区は昭和45年10月の鹿児島電化での大型機(C60・C61)の引退などにより蒸機の姿もかなり減ってはいたが、まだ日豊本線や肥薩線へのC57、指宿枕崎線のC12の本線運用や駅・機関区などでの入換仕業に若干の配属があった。また当然宮崎や吉松のカマもやってくるので初訪問の者にとってはこれでも結構被写体は多く楽しめるところだった。

門デフ装備のC57112は宮崎のカマ
指宿枕崎線用のC12241[鹿]が準備を終え、転車台に乗った
鹿児島区のターンテーブルは下路式なので足回りが見えないのが残念
庫内を見ると貴重な四次形のC57191[鹿]が 奥に見えるのはB2010
 
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B2010は今日の仕事は終わったのか庫の奥で休んでいた。「立山重工業」の製造所銘板と「46−4」鹿児島工の全検表記

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給炭台のあたりには入換機のC5042[鹿]が休んでいた 奥の二個のドームのカマはまもなく休車の48679かもしれない

鹿児島区の主要入換機はこの時期8620からC50へ変わっていて、訪問時は上諏訪から来たC5036と42の2両になっていた。写真にはほとんど写っていないがまだ前任者の48674・48679もどこかにいたかもしれない。(48674は3月25日に廃車になっている)

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C5042のキャブには長野工の表記も残る 右は梅小路からの転入機C57127[鹿]  煙室前面が角形
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鹿児島駅の今となっては貴重な国鉄オリジナルの駅名標

鹿児島17:26−222レ→西鹿児島17:46


鹿児島区を辞してもう一駅、西鹿児島駅へ言ってみた。駅のスタンプはこちらも西郷さんと桜島をデザインしたものでさすが薩摩のシンボルだな、と思った

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C5036牽引のブルートレイン! 実は客車を西鹿児島へ運ぶ回送列車

鹿児島機関区 配置(72−3−31現在)
C57 ★39・★72・X82・X122・★127・★175・★191 7両
C50 ★36・★42 2両
C12 208・★241・287 3両
B20 ★X10 1両
8620 48679 1両
訪問時、撮影できたC57(★印)は831レを牽いてきたC5739と鹿児島で引き継いだC57182(吉)を含めC5772・112(宮)・127・175・191の7両で、82と122以外は当時の在籍車を撮影することができた。


さて鹿児島機関区での撮影を終え、もう夕暮れとなってしまった。ここまで来たのだから最南端(というイメージの)鹿児島の地を踏んでみたくなり、ひと駅移動して鹿児島駅に行ってみた。特に目的はないのだがこの駅のスタンプが西郷さんの形の変形の「DICCOVER→JAPANタイプ」だったのが良い記念になった。 そしてこの先どうするか…で同行していたファンと相談したのち、なぜか宮崎まで行ってまた考えようということにした。宿も予約してないし全く計画にないことなのだが無茶なことだったと今では思う。「行けばどうにかなるさ」と思いつつ鈍行に揺られ22:39宮崎に着いた。

西鹿児島19:19ー1522レ→宮崎22:39
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1522レには軽量客車ナハ11のトップナンバーが

◇宮崎機関区の一室で夜明かし


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