宮崎機関区で朝を迎え、早速機関区をスナップする。構内には朝の仕業に備えてあちこちで煙が上がり活況を呈している。周りを見てもC57やC56、そして東北からやってきたC61などが目に移り落ち着いていられない。とりあえず目の前のカマをスナップしてみた
同区のC56はこの3月の改正(15日)で妻線での運用がなくなり、訪問時は機関区の入換と日南線の貨物(志布志のC11と共通)が職場になっていた。この宮崎の92は吉松の91とならぶ国内に残ったC56のトップグループで、のちに共に「お召列車」を牽引することになる<>/p>
ざっと一回りしたところで一旦区を離れ、上り列車に乗って高鍋で下車し撮影を開始することにした。 車窓から宮崎区を眺めながら高鍋へ向かった
宮崎から40分ほどの高鍋は駅付近に橋梁などがあってガイドでも撮影ポイントとして紹介されていたが、今回は時間がないのでその撮影地までは行けそうもないので駅周辺で撮影をすることにした。ここもポールや架線柱などがすでに建っていて電化・無煙化の工事も進みつつあった
駅構内には貨物列車を牽いて一休み中のC6118がいて軽くスナップしたのち、朝の通勤通学列車535レがC61なので発車を期待して待つ。だが牽いてきたのはC57だった。運用の変更だろうが先頭のC5749[宮]は正面型式入りプレートだったのでこれもなかなか良かった。このカマは先日人吉で会った48号機とは一番違いの兄弟機でもあった
宮崎機関区にまたお邪魔する。今朝テンダからみたC612が良い位置で転向していた。宮崎区に配属されたC61の6両(2・18・19・20・24・28)は昭和46年秋の奥羽本線無煙化で青森から転入したもので、特に大型機の必要もなかった日豊本線だったが当時の会計検査院による「検査期間のある機関車は移動させて使うべき」との勧告によりやってきたものだった。最初は山越えなどの勾配区間のある宮崎から鹿児島で使用予定であったが、色々な問題もあって結局延岡(南延岡)ー南宮崎の平坦区間でC57と共通運用されることになった。この2号機は1971年5月頃に青森から転入し、1972年9月に梅小路(蒸気機関車館での動態保存のため)に転属するまで宮崎での活躍は約一年ほどだった。