72年春 九州・山陰の蒸気機関車 その7の2

第八日目 昭和47年(1972)4月1日(土)
 
お世話になった浜田YH アットホームな私営ユース 宿泊スタンプも漁港ならでは

※このユースも何度か宿泊したが今は廃業してしまった


明けて昭和47年(1972)4月1日、新年度の始まりを浜田の地で迎えた。今日はこの撮影旅の最終日なのだが特に予定はなく、思案した結果まだ未踏の路線でなおかつ蒸気機関車が運行していて山陽路へ抜けられる山口線へ向かうことにした。その前にもちろん浜田機関区を訪問することにした

煉瓦造りの3線矩形庫が魅力的な浜田機関区で朝の仕業準備中のD71749とC575(共に[浜])

浜田区も山陰本線の中継地として多くのSLの配置があり、本線用のC57とD51それに入換と三江線用(当時は三江北線)のC56が煙をあげていた

D51749は浜田区では古株 右の庫から顔を出しているのがD511044、左奥はD51839
山陰に残ったC57は浜田区に6両 C57101は集煙装置・A型重油併燃装置の重装備型
三江線用のC56110はかつて準急「ちどり」を牽引した時のヘッドマークステーが残っている
転車台は上路式、その横に炭台 構内はコンパクトにまとまっていた
 
お目当てのD511は庫の一番奥にいた 火は入っていたが今日は出番はあるのだろうか [浜]の区札も誇らしい
トップとラストに近い兄弟機が並んでいた 右がD511129

D511は前年の羽越無煙化で当区に転属してきたものだが、すでに今年10月の梅小路機関区での動態保存(当時)が決まっていたための隠居生活のようでもあった。山陰本線筋では久々のナメクジ(一次型)でもあり秋までの人気者にもなっていた


 
D511129のキャブ周り 換算標の隣にあるのはボイラーのX線検査をした表記 庫の奥にいたC5698。今日は仕事がないのか撮影できたのはこれだけだった
 
C575(川車)とC57101(日立)のキャブ
 
D511044の製造所銘板は「昭19三車」これは三菱の略号の一種
 
D51577のキャブ スッキリした駅舎の国鉄山陰本線浜田駅

浜田機関区配置(昭和47年3月31日現在)
D51 1・230・322・410・437・577・674・749・794・833・839・1044・1129
C57 5・12・76・80・101・165
C56 98・106・108・110

 
駅のスタンプの図柄は漁港らしく魚の枠と大漁旗など

山陰本線の撮影はまた次の機会にと考え西に戻る。今日の目的は益田から山口線に入り、小郡に抜けるだけなのだが、せっかくここにも蒸機が健在なのだからと時間をとって津和野でおり、隣接の山口線管理所(津和野機関区)へ寄った。走行写真はダイヤ上撮影は無理なので庫内にいる機関車が狙いだった

浜田0930ー801D急行「さんべ1号」→益田1020
 

益田駅で出会ったのは交換で発車待ちの10時25分発福知山行き824レでのちに「日本最長距離客車鈍行列車」で有名になったこの列車もまだ蒸気機関車が牽引していた。牽引は昨日長門区で会ったD51798で、この後浜田までの仕業である

益田1055ー536D→津和野

益田から30分ほどで津和野に到着。「山陰の小京都」と呼ばれる観光地だがこちらの目的はもちろん駅近くの津和野区である。当時は「山口線管理所」と呼ばれていて区名札も「山」だった。この山口線を担当するのは全て10両ばかりの同区のD51で、数年前まで活躍していたD60の置き換えのため、主に信州長野から転入してきた番号が多かった。そのため集煙装置が長野型を付けたままのものがほとんどだった。機関区は駅の裏手にあるのですぐ訪問できたが、急に雲行きが怪しくなって雪が降り出したので撮影枚数も少なくなってしまった

庫には3両ほどのD51が休んでいたが吹雪のなかで顔を出していたのはD511025だけ
他に扇形庫にいたのはD51720とD51612
 
庫の外にナンバーをペンキ書きで留置されていたD511041

長野工場式ばかりの集煙装置の中でこの1041は鷹取?工場製のものを取り付けていた。雪に埋もれつつあったがこの時はまだ廃車ではなく休車状態。このカマも今朝浜田区で会ったD511044とは3番違いの兄機だ

山口線管理所(津和野)配置(昭和47年3月31日現在)
D51 194・278・405・407・581・612・720・753・1025・1041

津和野で少し観光をしたあと再び山口線に乗り山陽路へ戻る事にした。この撮影旅行もあと少しで終わろうとしているがまだまだ訪問したいところがあった。


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