※このユースも何度か宿泊したが今は廃業してしまった
明けて昭和47年(1972)4月1日、新年度の始まりを浜田の地で迎えた。今日はこの撮影旅の最終日なのだが特に予定はなく、思案した結果まだ未踏の路線でなおかつ蒸気機関車が運行していて山陽路へ抜けられる山口線へ向かうことにした。その前にもちろん浜田機関区を訪問することにした
浜田区も山陰本線の中継地として多くのSLの配置があり、本線用のC57とD51それに入換と三江線用(当時は三江北線)のC56が煙をあげていた
D511は前年の羽越無煙化で当区に転属してきたものだが、すでに今年10月の梅小路機関区での動態保存(当時)が決まっていたための隠居生活のようでもあった。山陰本線筋では久々のナメクジ(一次型)でもあり秋までの人気者にもなっていた
浜田機関区配置(昭和47年3月31日現在)
D51 1・230・322・410・437・577・674・749・794・833・839・1044・1129
C57 5・12・76・80・101・165
C56 98・106・108・110
山陰本線の撮影はまた次の機会にと考え西に戻る。今日の目的は益田から山口線に入り、小郡に抜けるだけなのだが、せっかくここにも蒸機が健在なのだからと時間をとって津和野でおり、隣接の山口線管理所(津和野機関区)へ寄った。走行写真はダイヤ上撮影は無理なので庫内にいる機関車が狙いだった
益田駅で出会ったのは交換で発車待ちの10時25分発福知山行き824レでのちに「日本最長距離客車鈍行列車」で有名になったこの列車もまだ蒸気機関車が牽引していた。牽引は昨日長門区で会ったD51798で、この後浜田までの仕業である
益田から30分ほどで津和野に到着。「山陰の小京都」と呼ばれる観光地だがこちらの目的はもちろん駅近くの津和野区である。当時は「山口線管理所」と呼ばれていて区名札も「山」だった。この山口線を担当するのは全て10両ばかりの同区のD51で、数年前まで活躍していたD60の置き換えのため、主に信州長野から転入してきた番号が多かった。そのため集煙装置が長野型を付けたままのものがほとんどだった。機関区は駅の裏手にあるのですぐ訪問できたが、急に雲行きが怪しくなって雪が降り出したので撮影枚数も少なくなってしまった
長野工場式ばかりの集煙装置の中でこの1041は鷹取?工場製のものを取り付けていた。雪に埋もれつつあったがこの時はまだ廃車ではなく休車状態。このカマも今朝浜田区で会ったD511044とは3番違いの兄機だ
山口線管理所(津和野)配置(昭和47年3月31日現在)
D51 194・278・405・407・581・612・720・753・1025・1041
津和野で少し観光をしたあと再び山口線に乗り山陽路へ戻る事にした。この撮影旅行もあと少しで終わろうとしているがまだまだ訪問したいところがあった。