第八日目 昭和47年(1972)4月1日(土)つづき
小郡は山陽本線西部の一大拠点区として非電化の時期まではC59・C62・D52などの大型機が多数配置され、機関区も二つのラウンドハウスと転車台を持つほどの規模だった。その名残は訪問時も「東転車台」「西転車台」があり(東の扇形庫は現存せず)、広いスペースになっていた。すでにその役目を終えた機関区にはわずかな入換機の配置と山口線から来るD51の駐泊のみが煙を上げているだけで、東転車台の側線は休車や廃車の機関車の留置に使われているという寂しい状況だった
今回ここを訪れたのは、小郡区に保管されているC621号機を見学するためで、このトップナンバーC621号機は廃車後、1号機ということで保存が決まり、さらに梅小路蒸気機関車館が最終保存先になって昭和47年10月の開館待ちをしていたところその対象機が当時人気絶頂だった2号機に変更されたため行き場を失い、その後もずっと小郡区に保管されてきた。その後広島工場や鉄道学園の展示を経て梅小路入りを果たし僚機2号機とともに展示されている
C621に関しては小郡区での保管を見学するファンのためにガリ板刷りのパンフレットを用意するなど温かい配慮を続けていた。ヘルメットを着用し指定の通路に沿って機関区の中に入った
小郡区でわずかに火が入って煙をあげていたのは数両のC58とD51、あとは山口線から来たD51だけだった。しかし同区での仕事は構内の入換がほとんどでもはや本線に出ることはなかった。このうちD51558はわずか10両しか製造されなかった鉄道省郡山工場製のラストナンバー機で製造所とは違うがこのこの小郡の所属を示す「郡」の区名札が入っていたのが印象的だった
小郡機関区配置(昭和47年3月31日現在)x=一休車 xx=二休車 ★は当日撮影したカマ
D51 ★558・★813・ xx1089
C58 10・★16・36・ xx64・99・122・xx149・★x299・xx345
他に留置中・廃車のC12ほか C621は車籍なし
休車・廃車予定の機関車が並んでいた中でD51558は長門へ転じてしばらく山陰本線で活躍、C5816は会津、122は小牛田へ転出してそれぞれ末期まで活躍して共に保存されたが近年どちらも解体されてしまった。C621の隣にいたD51813は廃車後、当地(小郡)に保存されている
文章によれば蒸気機関車の状況は厳しいものだが、他の動力車が多数配置されているので実際は活況を呈していたはずだ。なお「C611」は「C621」、「DD10」は「DD11」のことだろう
小郡を後に厚狭へ向かう。急行自由席に乗れるありがたさで30分ほどで到着、駅に近いので訪問も簡単だった。ここは小郡と違って美祢線や宇部・小野田線用の蒸気機関車がまだ残っていたので区内も活況があった
なぜかグリーンナンバーをつけていたD51768、九州に多く見られた緑ナンバーだが同機は九州内に配置されたことはない キャブの方は普通の色だったと思う(白黒で判別できないが)
同機は廃車後、東京都世田谷区の公園に保存され「門デフ装備唯一のD51保存機」として貴重な存在になっていた。2013年にテレビ朝日の「じゅん散歩」の世田谷(三宿)の放送に際して画像の提供依頼があり、この撮影行の一コマが使われた。これはその画面
厚狭機関区配置(昭和47年3月31日現在)x=一休車 xx=二休車 ★今回撮影できたカマ
D51 8・★18・★152・235・271・★272・★282・300・xx426・470・476・★507・★518・★520・★529・★552・★592・666・730・★768・xx780・xx808・920・★1022・1026・★1080 26両
★C5847・48・★313? 2両+1
C12 39・164・★219・★xx263・★280 5両
標準型が多い厚狭区のD51の中で異彩を放っていたのが九州から転入してきた一次形のD518と18、それに門鉄デフ装備の272や1022がいた。ただナンバー的に魅力があった300や666には会えなかった
これで今回の撮影行の行程はほぼ終わり、あとは帰途につくだけになった。ただ上りの列車にはまだ時間がある。そこでまだ九州の周遊券の期間が残っていたので乗車駅を探すとともにいくつか駅に降りてスタンプや入場券でも集めることにした