
高校に入って最初の蒸気機関車撮影旅は5月の木曽路となった。70年の12月、71年の5月に続いての3回目となるが、経済的な面もあって夜行日帰りの1日だけの撮影となった。それでも木曽路を走るD51は本数も多く十分楽しめた1日になった。

中央西線の塩尻ー中津川間は来年の昭和48年(1973)に電化され、SLも含めた無煙化が予定されいて沿線も大幅な路線改良工事が進んでいた。架線は張られていないがすでにポールは建植が進んでいて、D51の活躍もあと一年というところであった。新宿を未明の臨時急行に乗り、塩尻へ。(小淵沢まで併結の「八ヶ岳51号」はおそらく小海線をC56が牽いたはずだが記憶に残っていない。小淵沢でもスナップもしていないのはなぜだったのだろうか?)塩尻では接続も良く西線の旅も始まり、まずは7時23分に薮原で下車し撮影をスタートした。
まず名古屋(宮ノ越)方向へ歩いたところの橋梁(だと思う)で上りの重連貨物を撮ったが時間が間に合わなかったか正面のものがない。続けて下りの貨物はD51698がいい感じで走ってきた。この列車は薮原でかなり停車するので駅へ戻り、発車を撮影することができた。





列車でひと駅移動して宮ノ越で下車。ここの撮影地としては薮原寄りの木曽川を渡る橋梁で、周辺は「巴淵」と呼ばれる名勝で特に秋の紅葉が見事らしい。訪問時は5月の新緑に包まれていたが適度な勾配もあって下り列車は煙を吐きながらやってきた









薮原側に歩いて先程のD51200がやって来るのを待つ。右手には中山道の宮ノ越宿の街並みがありバックの山々とともにいかにも「木曽の山中」を思わせるのどかな風景が広がっていた。右は宮ノ越駅のスタンプ

列車の都合でまた駅に戻り、上り貨物の発車を撮る、今朝ほど薮原で下りを牽引していたD51125が塩尻から引き返してきた
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