木曽路のD51 45年12月 その1

中央西線1970年 その1

新宿駅で発車を待つ165系急行

第二回目は木曽路のD51、45年の暮の訪問だった。

出発まで

高島・八高線などの首都圏無煙化による「さよならSL運転」が繰り返された激動?の45年10月が過ぎ、冬休みとなった。当然また「汽車撮り」に行きたくなるわけだが、厳しい条件は変わらず中学生の遠出には限界があった。私のクラス(学校)には鉄道趣味を持つものが少なく、不思議と同好の士には恵まれなかったのだが、ようやくW君と気が合いこの休みに一緒に出かける事になった。

友人二人での遠出について家族との妥協点は「日帰り程度ならOK」。しかし当時首都圏から日帰りで充分満足する蒸機運転線区など45ー10の時点ではほとんどなかった。(新幹線など使えば別だが、これはお金の問題で無理)そこでぎりぎり「夜行日帰りなら」というところまで譲歩を引き出した。となると候補は会津地区や二俣線・小海線・飯山線などがあがったが、やはり蒸機の人気者であるD51に会いたい、それもたくさん走っているところとなればもう中央本線の塩尻ー中津川しか考えられなかった。そこでW君とあれこれ計画を立てる事になった。撮影については当時のファンのバイブル『44ー10ダイヤ改正による 蒸気機関車撮影地ガイド』(鉄道ファン増刊 交友社)があり、それに「木曽路のD51」と題した記事とダイヤもあったのでまずこれを参考にした。このガイド記事では中津川寄りの落合川周辺のものだったので、まずはここを訪問することを前提に計画を進める事にした。

撮影はやはり朝早くから始めたい。となると中津川に早朝着きたいが、名古屋回りにしても塩尻経由にしても東京からだと直通がないのはもちろん、非常に中途半端な乗り継ぎとなってしまうのがわかった。新宿から行くのは決まりとしても中央線の夜行で大丈夫だろうか? 時刻表には松本や大糸線に入るもの、長野方面へと多数の夜行列車が当時も走っていたので塩尻あたりに早朝着くのは簡単なようであった。しかしながら肝心の中央西線へのアプローチが悪く、上りの塩尻始発(普通)が6時20分であり、これでゆくと中津川が9時15分となってしまうのであった。そこでいろいろ思案した結果、新宿18時45分発の急行「アルプス8号」での出発とした。夜行にしては早いがもちろん「アルプス8号」は夜行ではなく、松本行きの最終急行というダイヤだった。この列車で塩尻に23時前に着き、二時間ほど待って西線の急行「きそ7号」に乗り換え中津川に3時39分とした。中津川でも下りの始発まで約二時間待ちというものだったが、これが落合川で早朝から撮影開始するにはこの時点では最善のものと判断したのだった。乗車券は普通のもので「均一周遊券」もあったがなぜか考えていない。知らなかったのだろうか?また学割も使用しなかったが、学校が遠出を許可しないおそれがあったのかもしれない。いずれにしても中途半端な旅立ちの計画となってしまった。


塩尻から木曽路へ

新宿18:45ー409M急行「アルプス8号」松本行ー塩尻22:54

暮れも押し迫った12月27日、冬の夕暮れは早く、すっかり夜の雰囲気となった新宿を「アルプス8号」は発車した。本来なら明日はいよいよD51に会える!という期待にわくわくするところだが、W君とふたりとはいえ夜行になるような遠出への不安感の方がこの時はまだ大きかったようだ。ただひたすら目的地へ早く着きたいと思っていたのかビュッフェも着いていたはずのこの列車でのスナップは新宿駅での数枚しか残っていない。もっともフィルムがもったいなかったのかもしれないが・・・。車中での記憶もなくいつのまにか塩尻へ着いていた、といった感じであった。

4時間あまりをかけて到着した塩尻は深夜に近く、篠ノ井線などが交わる交通の要衝にしてはやけに小さい待合室だったことが思い出される。もちろん当時の駅は現在と異なった東寄りの大門地区にあったわけで、西線⇔篠ノ井線を直通する列車は必ずここで方向が変わるため、かなりの停車時間をとっていた。ホームに降り立つとやはり寒い。構内を行き来する蒸機のドラフトや汽笛を聞いたような記憶もあるが、まずは落ち着きたかった。待合室はストーブがあって暖かかったがここでの2時間は何もせず、そして長く感じた。なぜこのような中途半端な乗り継ぎになったのか今でも不思議だが、よく考えてみるとそれなりの理由があったようだ。まず「アルプス8号」だが、年末といっても中央東線の夜行はそれほど本数がなく、この列車のあとは急行・普通含めて4本(季節・臨時含む)しか走っていなかった。さらに「きそ7号」に間に合うには「アルプス8号」が一番待ち時間が短いのだった。周遊券も使わずふたつの急行を乗り換えるなど、いま考えるとまったくお粗末な計画だが、ともかくも中央西線の蒸機に会いたい、という気持ちが先走ってこんな案で妥協してしまったのであろう。

塩尻0:58ー810D急行「きそ7号」名古屋行ー中津川3:39

長い待ち時間が過ぎ、日付も変わった12月28日、ようやく「きそ7号」に乗り込んだ。師走の繁忙期に深夜途中停車駅から乗車するのも無謀だが、中学生二人なら何とか座れたような記憶がある。「寝過ごさないか?」という不安の中で2時間半、まだ朝ともいえない午前3時半にようやく中津川駅に到着した。D51に会うまであと少し・・・しかしここでもまた始発まで2時間半待たなければならなかった。


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この時使用した乗車券