汽車の思い出02 木曽路 その4

中央西線1970年 その4

昭和45年12月28日

野尻に停車中の827レ。バックに木曽の山々。


木曽路を下る 827レの旅

落合川10:43ー827レ松本行→木曽福島12:24頃

  
坂下で先程会った669レのD51495に追い付く キャブの向うに木曽の貯木場

木曽路の汽車旅が始まった。陽もあがり天気も良い。不安だった雪も溶け始めて所々に残っているだけで意外に少なかった。もっとも山間部ではないからだろうが、12月末とはいえ小春日和の陽気の中でDD51に牽かれた鈍行列車は木曽川や谷に沿って走ってゆく。昨夜からの疲れでついうとうとしがちだが、そうもいってられない。車窓からも貪欲に蒸機を撮影する意欲の方が眠気より勝っていた。進行右手に席をとりカメラを構える。坂下では上りの客826レと交換し貨669レを追い抜く、田立では貨6654レ、須原では貨691レの追い抜き、中平(信)では貨656レとの交換・・・、その度に窓を開けてカメラを構える、この作業が嬉しくもあり楽しかった。アングルなどはともかく1台でも多くのD51を写したいという気持ちでいっぱいだった。残された写真は大したものではなかったけれど。

(左から)客826レ(坂下)、貨6654レ(田立)、雪晴れの十二兼駅

(左から)野尻駅の名所案内、貨691レ(須原)、貨656レ(中平信号場)

1時間半ほどの乗車で827レは木曽路の要衝・木曽福島に到着した。半日程前の深夜にここを通ってはいるがもちろん記憶にはなく、初めて見る風景で、木曽路の交通の要衝で特急も止まる駅なのにホームは1本しかないのが意外であった。しかし駅の反対側には中津川とともにこの線の機関車を預かる木曽福島機関区がありあちこちで煙があがっていた。午前中の走行写真を落合川でたっぷり味わったので、もちろんこの機関区を訪問するためここで下車することにしていた。


木曽福島機関区

  

駅を出てガイドにあったように地下道を通り機関区へ向かう。事務所で手続きをし腕章を付けてさあ撮影開始である。訪問時の福島の配置はD51が6両、C12が2両の小所帯ではあったが中津川のカマも出入りするので構内はけっこう賑やかだった。まず扇型庫へ向かう。「青空車庫」には先程落合川で会ったD51787と最初に乗ったD51902(ともに[木])がお尻を向けて休んでいた。どちらも一仕事終えて休憩中といった感じで902の仕業札には今朝乗ってきた「823レ」の文字も見られた。庫の周辺にはこの2両しかおらず、430・769・921の他の所属機は仕事中なのであろう。変形ドーム・長工デフ・煙室扉上部切り欠きなどの戦時設計で木曽福島の名物機だった862号も会いたかったのだがすれ違いのようである。

 

止まっている機関車を好きなだけ写真に撮れるというのが機関区での撮影の醍醐味であり、私たちは思うままシャッターを切れる幸せに浸っていた。そこで働く人たちにとっては事故などの心配もあってあまり歓迎されざる訪問者だったのだろうが、この福島区では本当に良くしていただいた。初めての機関区訪問がこういった素晴らしいところだったことで、やはりその後の訪問でのマナーや規則遵守の気持ちが大切だと感じられたことは自分にとっても意義ある事だと思っている。構内ではさきほどから木曽福島名物?の「デフ付きC12」ことC12199号がこまめに動き回っている。趣味誌でその存在は知っていたので初めての対面でもそれほどの感動はなかったが、それでも貴重な存在の機関車である。煙室正面とデフ先端、それに炭庫後部が警戒塗装(通称“トラ塗り”)となっていたがそれも御愛嬌である。

働き者C12199[木]

扇型庫内の写真は撮っていない。暗くてシャッターを切れなかったのか、おそらく1両もいなかったのだろう と思う。当時[木]のカマは全部合わせても8両で、そのうちすでに4両は外で見かけたし休車がいないとなればあとは出払っていたのであろう。ただ後年ハーフのネガをチェックしていたら庫内で撮影したものが1枚だけ見つかった。オート撮影のため非常に見にくいのだが、拡大してみると何とC56であった。ナンバーまでは読み取れないが、あちこちの動静資料を確認してみるとこれはどうやら当時上諏訪区にいたC56102号のようである。詳細は「備考」に記したが20数年たってあらためて確認できた意外な事実であった。

庫内にいたC56、火は入っていたようだ。

そうこうしているうちに先程追い抜いたD51155の貨物が到着。また賑やかになったがすでに何回もカメラに収めたカマなので興味がわかない。このあたりは現金なもので、いまならアングルを変え、また部分のクローズアップなどシャッターはいくらでも切れるのがわかるのだが、当時の年齢や経済状況など考えればそこまで頭がまわらないのも仕方のないところだろう。原野方からはD51348[中]の上り貨物も到着し、こちらは今日始めてみるナンバーなのでスナップを開始、ここで牽引機が変わるのか連結を外され給水・給炭にやってきた。

 
到着したD51155と給水塔と横で休車中のC1282[木]
 
上り列車の仕事を終えたD51348。右は到着の様子。[中]

348号は手許の45年6月の配置表では福島にも中津川にも見当たらないナンバーであったが、後で確認したところ45年の7月に富山一区から中津川に転入したカマであった。

機関区での撮影はとても楽しく夢中であった。気が付けば午後2時を過ぎている。そろそろ時間もなくなってきたし写真もほぼ撮ったので駅に戻り、また帰途までの計画を考えることにした。このまま塩尻方面へ向かいまた走行写真を撮りたいが、都合の良い移動列車は塩尻まで止まらない急行しかない。次に発車するのは中津川方面の普通列車しかないががこれは幸運なことに蒸機の牽引である。W君も私も疲れて来たしもう走行はいいや、という気持ちになっていたこともあり、帰りの列車を下りの831レに決めて、折り返してできるだけこの列車に長く乗車するため上り方面へ向かうことに決定した。もちろんダイヤでSLとの出会いのチャンスの高そうな駅を捜したわけで、結果5つ目の野尻まで乗車することにした。いよいよ木曽路のD51と過す一日もラストコースとなったのである。

訪問当時の配置表(45年6月現在)

中津川区 D51:125・171・200・245・249・265・266・267・274・279・402・450・495・501・549・707・776・777・792・827・851・898 計22両、C12:42・74・209・244 計4両

木曽福島区 D51:430・769・787・862・902・921 計6両、C12:82・199 計2両


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