小海線1971年 その4  昭和46年3月

浅間山を望む佐久平を行くC56列車

駅へ戻り今度の下り貨物をどこで撮るか思案する。当時の撮影地ガイドはもっぱら清里ー野辺山や小淵沢の大カーブなどがほとんどで中込から小諸方面へものもは稀であった。乙女のカーブなどが一般に紹介されたのはずいぶん後のことなので良い撮影場所など検討もつかなかった。そこでとりあえず列車の向かう小諸方向へと歩いて適当な場所を探すことにした。中込市街を離れてもなかなか良いところは見つからず、だらだらと歩いているといつのまにか次駅の滑津(なめづ)まで来てしまった。この駅は片側ホームだけの無人駅で、反対側の線路の向うには田んぼが広がっている長閑な風景の場所であった。この駅の少し先に小さな川(のちに滑津川と知る)を渡る鉄橋があり、バックも佐久の山々などで意外と開けていたためこのあたりで待とうということにした。

滑津川を勢い良く渡ってきた
刈り入れの終わった田んぼと行く手には山並が

まもなく汽笛が聞こえ滑津駅を通過するドラフトが響いてきた。多少の勾配があるのとスピードを出すためなのかけっこう力強い走りである。まもなく短い鉄橋を渡り白煙をなびかせて小諸方向に走り去っていった。この貨191レは先ほど機関区で仕業準備をしていた144号が牽いて来たと思うのだが、残念ながら番号を確認できる距離での撮影ではなかったので確証はない。

“八ヶ岳スケート号”を撮る

貨物の走行写真を1本撮影できてほっとした私たちはまた歩いて中込駅へ戻り帰り支度を始めた。後はまた野辺山へ戻り、上りの「八ヶ岳スケート号」でC56列車を楽しみそのまま直通で新宿へ帰るだけである。しかし時間はまだお昼前、まだどこかで汽車を撮れないだろかと考えてみた。その結果、下りに乗車してC56列車はじゅうぶん味わったので上りの「八ヶ岳スケート号」の走行をどこかで撮影しようということにした。この列車で新宿へ向かっても足が遅いので、後続の急行で帰ってもそんなに無理はないという判断もあった。ということで私たちは12時半頃の急行「のべやま」に乗り2時前に野辺山へ着きお目当ての撮影地へと歩き出した。(列車の移動の記憶がはっきりしないが、「のべやま」の前の普通列車だと14時半の到着となりC56列車の発車まで10分ほどしか余裕がない。したがって急行に乗ったと思われる。)

中込12:31ー702D循環急行「のべやま」長野行→野辺山13:46(※中込12:05ー234D小淵沢行→野辺山14:24)

小海線の第一の撮影地として必ず紹介される清里ー野辺山間の境川橋梁は、バックに八ヶ岳の雄大な風景を望む絶好のロケーションで、ここを行く列車を国道から撮影するのが決まりのようになっていた。もう散々趣味誌で見慣れた光景なので、あらたまって撮影するとしても新鮮味はなかった。しかしこの「有名撮影地」のものもチャンスがあれば一枚は撮っておきたかったのでカメラをセットすればC56が来るのが待ち遠しい。午後3時前ではあるがまだ陽もあり、幸いバックの八ヶ岳も冬の変わりやすい天候の中でまずまずの姿を見せ、主役の登場に花を添えてくれた。

※「八ヶ岳スケート号」◆8136レー野辺山14:35→小淵沢15:32(霧ヶ峰スキー号と併結)16:12◆9436レ→新宿20:39

八ヶ岳を望む

冬枯れの境川橋梁を行く上り「八ヶ岳スケート号」 C56150

まずまずの写真が撮れたことに満足して駅へ戻る。これで今回の予定は消化したので何もすることはなくなってしまった。いくつかのイレギュラーなこともあったが結果は機関区訪問・滑津と境川橋梁での撮影などは嬉しい誤算だったようだ。冬の陽が落ちるのは早く、高原の野辺山も夕暮れを迎え、木造の駅舎もいい感じでその陽射しを浴びていたようだ。しばらくのんびり過したあとディーゼルカーに乗車し午後5時過ぎに小淵沢へ戻った。

高原の駅に相応しい木造の2代目野辺山駅舎

ホーム側もローカル線の味わいが深い作りだった

小淵沢駐泊所

 
臨客を牽き終えた150号が休んでいた

帰路へ

野辺山16:40ー1238D小淵沢行→小淵沢17:17

小淵沢17:29ー1410M急行「アルプス8号」新宿行→新宿20:07

帰路の新宿まではまったく覚えていない。疲れてしまったのか成果に満足してホッとしてしまったのかはわからないが・・・。これで小海線のC56にも会えた。さて次はどうなるか、であるが果たして夏休みになるのかそれともまたどこかで蒸機に会う事ができるのか、いずれにしても汽車への興味はつきない46年3月の私がいた。 おしまい


おまけ

小海線などが描かれた楽しい小淵沢の駅弁掛紙


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