小海線1971年 その3  昭和46年3月

3線収容の中込の庫 2両のC56とDCがいた。

野辺山から乗車したのは小諸から長野まで行くディーゼルカーだった。当初の予定ではこの1231Dで信濃川上へ行き、後から来る貨193レを撮りさらに後続列車で追いかけて佐久海ノ口で追い付き、ここで交換する貨192レも狙う計画であった。その後も効率よく移動すれば一日で少ない列車でもけっこうな数のカットをものにすることができるはずだったのだが運休では仕方がない。その代わりに中込へ行けば149号以外のナンバー機にかなり会えそうな気もしてきた。ダイヤ上ではうまく集まっていそうだな、と思いながら中込駅に到着した。機関区は駅のすぐ反対側である。

中込機関区

小海のC56の寝ぐらである中込機関区は小海線の前身、佐久鉄道時代からの由緒ある庫で、大正4年8月に創設された。以来小さいながらも多くの形式の機関車や動力車が配置され中でもC56はその製造当初から配属されたほど馴染みのある庫であった。その後の客貨分離や合理化などで昭和40年代半ばにはその機関車もわずか4両となってしまったが、残った4両のC56(144・149・150・159)がまさにSLブームの脚光を浴び人気者となっていた。

 
1番庫に144・2番庫に150が休んでいた

中込のC56カルテット

同日同時間帯に4両揃った姿に出会えたのも幸運だった。
 
 

   
一仕事終えてこれからお昼寝の149号   ベルトコンベアで御飯(石炭)も頂いています

私たちが訪問した時は3線収容の庫に144と150が顔を出しており、150の後ろに159が休んでいた。その庫と転車台を挟んだ反対側の給炭水場では今朝ほどお世話になった149号が「仕事のあとのお食事」ということなのか、たっぷりの石炭と水を補給してもらっていた。これから少し休んで次の仕業に備えるのだろう。ということで短時間のうちに中込所属の4両のC56をすべて区内で撮影することができた。上記の写真では4両とも庫内に収まったアングルとなっているが、これは149が給炭水後に入庫したからである。

そのうち1番庫にいた144号がやおら動きだし、ターンテーブルに乗って向きを変えはじめた。ということはこの後の仕事に出かけるのだろう。11時過ぎに下り(小諸方面)の貨物があるのでこちらは運休ではないらしい。時間もあることなのでこの列車を近くで撮ろうということになり、楽しく撮影できた機関区を辞した。

 
さあ!仕事だ、と出庫する144号           休養充分なので元気よく蒸気も出ます
 
次は下りなので転車台で向きを変えます 中込駅のスタンプにもC56が登場、150号である。

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