キャブの情景・製造所銘板編

蒸気機関車の運転室(キャブ)周りにはさまざまな標示物が取付けられています。それはその機関車の氏素性を表すものであったり運転業務に関わる装備であったりしますが、私達はそこを見てこのカマが「何形式の何番」で「どこの機関区にいて」「今日はどのような仕事をしているのか」を判断してきました。ナンバープレートや所属札(区名札・庫札)、運用標、換算標などはまさにその機関車の「身分証明書」ともいえましょう。 特に製造所銘板はそのカマの造られた会社・工場によってさまざまなスタイルや形式があり、興味はつきないものがありました。もちろん戦時供出などで当初の大型のものは奪われ、戦後に小型の簡易型に付け替えられたものも多く、またSLブームの頃から晩年になると盗難などにあったり、またその予防策として剥がされ取付け穴だけが哀れな姿を晒しているといったような悲しい事も目にしてきました。 このコーナーではあまり語られないこの「製造所銘板」について、晩年まで残っていた原形のプレートを持つカマの画像を中心に展示し、話題にしていきたいと思います。(銘板のスタイルなどは特にことわりのない限り、蒸気機関車の銘板についてのこととします。)

当コーナーはisobe201様主宰の「煙の宴会(うたげ)」資料室「製造銘板」と連動しております。銘板についての解説はこちらの方も御参照下さい。またTADA様主宰の「汽車・電車1971ー」にもキャブ周りの画像を集めたキャブコレクションコーナーがありますので合わせて御覧下さい。


川崎車輌の銘板

D511号も製造した川崎車輌の銘板は四角形で、製造年・会社名(文字が微妙に異なるものもあり)・製造番号が刻印されたシンプルなものだが、やはりしっかりとした作りであった。またD51やC58など多数を製造していたため、けっこう晩年までこの大型銘板を付けたカマに出会うことも多かった。馴染みの深い板のひとつである。

銘板類が一揃い残っていたD51567[延]のキャブ回り 47年3月

汽車会社の銘板

汽車会社ー汽車製造株式会社の銘板は、蒸気機関車では楕円形のものが多く、C51・8620などではボイラーの前側面に取付けられていた。会社名も「KISHA SEIZOU KAISHA」などアルファベット表記であったが、その後「二重の輪」のマークとともに「汽車会社(會社)」と改め、運転室側面に取付けられるようになった。「汽車」の名にふさわしい堂々とした銘板である。

大正の名機ハチロクには初期タイプが健在だった 88622[若]
製造番号1755のC58140 46年8月 七尾区

日本車輌の銘板

日本車輌も大型の楕円形に「車」を図案化したマークを中心にした銘板を付けていたが、晩年にこれを残していたカマはあまり多くない。ただ戦後製造(改造)のC60やC61などのものはけっこう遅くまで見ることが出来た。画像のD51129のものは長方形の小型のものだが、戦時形タイプゆえ、当初からこの板を付けていたか、あるいは板すらなく戦後取付けられたものとも思われる。

日車の大型銘板を付けたC5697[諏] 佐々木様御提供
D511129[浜] 47年3月

※左下にある板はボイラーの「X線検査済み」を示すものである。


日立の銘板

日立製の銘板は長方形だが何といっても中央に大きく書かれた「日立」の文字がその存在感を誇示していた。それゆえこのマークを付けたカマの運転室も引き立ち、グッとしまった印象を与えていた。あまりにも有名なC622や3号機もこの銘板を残し、多くのファンの記憶に残っている。C62以外でも多くの形式に付けられたが、C56やD51などでたまにこの大型銘板を残しているカマに出会うと嬉しかったものだ。

D51611[新] 46年3月
コーポレートマークが下段の製造番号のところに小さく刻印されているのも日立の特徴

三菱の銘板

三菱の大型のものも長方形だがコーポレートマークを上段に掲示し、「三◆菱」というように中央にマークを示していた。また製造箇所まで示していたことも特筆され、「神戸造船所製造」というように素性もはっきりさせていた。C56やC57などでよく見かけたものだが、素材がいまひとつだったのかすり減って良く見えないものが多かったようだ。戦中ー戦後にかけては楕円形ながら簡単な小型のものの変わったり、また製造母体の混乱等もあって、簡略化したものでも「三菱」「三車」「菱船」など微妙に異なった掲示をしているカマも見る事ができた。

[人]の砲金製区名札も誇らしいC57130は三菱製 47年3月
「三車」の銘板を付けていた晩年のC57110 佐々木様御提供

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