キャブの情景・製造所銘板編 その2

国鉄(鉄道省)工場製造の銘板

9600・C51などから始められた国鉄(鉄道省)工場製の蒸気機関車にも立派な製造所銘板が取付けられていた。当初は小倉・浜松など一部の工場だけであったが、爆発的に数が増えたのはやはり8工場で製造されたD51によるものだろう。苗穂12両・土崎9両・郡山10両・長野9両・大宮30両・浜松70両・鷹取58両・小倉30両のそれぞれが意匠を凝らした銘板を当初は装備したが、やはりこちらも戦時供出や紛失・盗難などでその原形を晩年まで付けているものは少なかった。
その内訳は鷹取が楕円で製番入り(38まで)、小倉が楕円で製番なし、大宮は長方形で上段に製番入り(30号まで)、苗穂・土崎・郡山・長野・浜松は大宮とほぼ同形で上段が「鉄道省」となっていて製番はなかった。その他細かい変遷などもあるがここでは省略する。


苗穂工場

苗穂工場製の2号機D51238はなぜか生涯をもっぱら本州で過し、会津や木曽路などでなじみのカマであった。画像は木祖村に保存後のものだが現役時もキャブ両面に原形の銘板を装備していた。
苗穂工場製の第1号機D51237は生れ故郷の北海道苗穂工場で大切に保存されている。またこちらも大型の製造銘板を取付けているが、製造当初からのものかどうかはわからない。いずれにしても1・2号の兄弟が揃って銘板付きで保存されているのは嬉しい事である。 画像は「寅さん」御提供

郡山工場

製造わずか10両の郡山工場製のラストナンバー機がこの558号である。原形の大型銘板はすでになく小型のものを付けていたが、庫札の「郡」は工場に近い東北郡山区ではなく、たまたま撮影時所属していた小郡区の略号「郡」の札が入っていたため銘板の「郡工」と偶然似通ったものになっていた。

大宮工場

 
製造第一号の187号機には現在立派な原形のものが整備されているが、現役晩年から保存当初までは簡略形が付けられていた。「大宮」は「大工」と略されている。
大宮工場製の6番であるD51192は晩年までこの銘板を付けていた。少々見にくいがさすが大型なのではっきりとわかる。昭和46年5月 木曽福島(192は中津川所属)

同じく大宮工場製の21番であるD51508は関東なじみのD51。所属の[岩]は岩見沢ではなく「新小岩」区である。同区のD51には初期の汽車会社大型銘板を付けた21号も晩年には在籍していた。 ヘロ爺様御提供


長野工場

長野工場もわずか9両の製造である。画像の549は昭和15年製の8番機で長野市内に保存の今の姿である。小型の銘板に変更されていて、なぜかナンバープレートとともに赤く塗られている。

浜松工場

生れ故郷の浜松市内に保存されているD5186号 ※吉野富雄様御提供

省工場では最多数の70両を製造した浜松工場の銘板も原形は四角である。D51製造の第1号はこの86号だが、他形式のものをすでに製造していたので製造番号としては19号にあたる。なおこの銘板は保存後にあらためて整備されたもので、本来のものには「製造年月=12月」は入っていなかったはずである。

梅小路に健在のD51200も浜松工場製 ※吉野富雄様御提供

同じくD51200も浜松工場製であり番号は「25」である。こちらの方はほぼ原形通りの銘板(後年の取付)のようだが、仕業札枠がなく他の銘板の配置も現役時代とは若干異なるのが惜しい。


愛知県に保存されているD51823号機の非公式側に「濱松工機部」時代の製造所銘板が残っていました。 ※吉野富雄様御提供


このD51823は浜松工場製であり番号は「73」であるが製造された昭和18年はその前年より「鉄道省濱松工機部」と名称を変更しており、その間に製造されたD51にはみなこのような銘板が取付られていたはずである。戦中〜戦後を生き抜き、廃車後も保存されて残ったこの823号機のものは貴重なものであろう。


「キャブの非公式側に「鉄道省 浜松工機部 昭和18年」と記された銘板が 残されており、当日機関車の説明に当たっていた稲沢区OBの方も、「恐らくオ リジナルの製造銘板であろう」とおっしゃっていました。戦後に復元したもの であれば、「昭18 浜工」というスタイルのものになるでしょうし、保存時 や現役末期に復元したものならば、もう少しきれいな状態を保っているでしょ うから、オリジナルと判断してもよさそうな気がします。  鉄道省(→運輸通信省→運輸省)の工場は昭和17年に「工機部」と改称し、 国鉄発足後の昭和25年に再び「工場」に戻されていますので、この時期の銘板 としては貴重なものだと思います。」(吉野様談)


鷹取工場

58両のD51を製造した鷹取工場の銘板の原形は他と同様(大型だが楕円形)のものであるが、これは現在動態保存機である498号が付けている小型のもの。もちろん原形ではなく、小型のものを基本に字体を楷書体に変えてある。なお本来の小型の表記は下記の「不明銘板」にあるD511141(誤使用)のように「昭○◎鷹工」である。吉野富雄様御提供


小倉工場

D51482は昭和15年1月小倉工場製で銘板には記載されていないが竣工順の推定で29番とされている。熊本区に長く在籍し、鹿児島本線からの仕業がなくなってもしばらくボイラー代用として機関区に残り最後は南延岡で廃車となった。そのせいか熊本区ならではの緑ナンバープレート(画像はモノクロなので若干色合いが黒と異なっているのがわかる)と、現在動態保存機である58654とは違ったゴシック体の砲金製区名札を付けていたことが特筆される。(なおこの区名札も地色は緑に塗られた鮮やかなものだった)

「昭14 小工」の小型銘板に変わった製番23のD51227[長] 47年3月

不明?の銘板

このD511141は製造所銘板が外されている。盗難・紛失かもしれないが、現車は19ー7ー31川崎車輌製のはずである。実はこのカマについては鉄道ファン157号(74ー5)の渡辺肇氏の記事で「間違った銘板を取付けたカマ」として写真入りで紹介されている。その写真にはナンバープレートの下に「昭19 鷹工」のプレートが付いていた。おそらく工場入場時あたりで取り違えたのであろうが、いつのまにか間違った素性を示すものも消えていたということである。蛇足だが下部の換算標も一般的な横長のものとは違うタイプを付けているようだ。

このカマもボイラー検査を受けたものとみえ、下部に「X小工26・9」と刻印されたプレートを付けている。

誤用された銘板を付けていた時の1141号(公式側) ※佐々木様御提供

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