交通博物館のある神田須田町はまたかつての都心の交通の要衝であり、お茶の水・秋葉原・神田といった鉄道駅はもちろん目の前の須田町交差点を中心に最盛期には10系統もの都電が行き来していた。また周辺には鉄道模型店なども多く、鉄道少年いや鉄道ファン全てにとってたまらなく嬉しい場所でもあった。
須田町を行く(または起終点とする)都電で最後まで残ったのは、昭和47年11月11日に廃止(実質上の都電最後の廃止)された24・29系統であった。29系統は須田町を起点に葛西橋まで、24系統は最終期には同じく須田町から柳島(福神橋)までのもので、このうち交通博物館を横目に万世橋電停を通っていたのは24系統のみであった。
都電の撮影はいずれも昭和47年9月。廃止まであと二ヶ月あまりの時であった。なお最後の7517はこの二ヶ月後の廃止時に柳島車庫において7519とともに廃車となり、荒川線(27・32系統)への転出はかなわなかった。
万世橋周辺や秋葉原、須田町といったあたりもバブルを乗り越え落ち着いていたところ、近年再び急速に変化をしつつある。電気街だった秋葉原が「電脳シティ」を前面に打ち出しいくつかの老舗もビルに建て変わった。昭和の近代的な「三階建て駅」として鉄道絵本には隣のお茶の水駅とともに必ず紹介されていた秋葉原駅もまもなく開業する「つくばエクスプレス」の始発駅として内外の改築が行われ、構内のあちこちに残っていたレトロ調の建造物がいつのまにか消えてしまった。そんな中で構内デパートでしぶとく残る「アキハバラデパート」へ通じる連絡出口の階段ホールには昔のままの装飾が残っていた。
一方、交通博物館の手前のガード横には少し前まで同じ時期に建てられたという「万世橋交番」が廃止後もしぶとく残っていた。(右画像の自販機の向こうあたり)現在は「江戸東京たてもの園」に移築されて余生を過しているが、その横で今も健在な電材店も秋葉原ならではの風情を伝えている。