今年の大型連休は天気も良く、最後まであとわずかとなった交通博物館にとっても多くのお客様で賑わい、最後を飾るにふさわしいものであった。入館券を求める列もなかなかきれず、館内の展示物やシミュレーターなどにも多くの目が注がれていた。こんなにも賑やかな館内を見たのは久しぶりのような気がした。
さよならイベントのひとつ、旧万世橋駅跡の引き込み線を使った車両の展示の第2回は4/29から先般廃止となった山陰本線の寝台特急「出雲」に使用されていた寝台車2両と主な区間を牽引したDD51型ディーゼル機関車が並べられた。こういった車両の屋外展示は本来ならもう少し早く行われていれば良かったとも思う。この場所は夜間の保守車両の留置スペースとして必要であったとも言われているし、仮に展示をしても中央線の電車の運行の妨げや安全の面でやはり支障があったのかもしれない。ただやってみれば博物館の目玉にもなったであろうし集客もアップしたことだろう。
いずれにしろいろいろな事情で難しかったのだろうが、この最後の時期に実現したことは「もしあの線路上に本物の車両が並べられたら・・」というファンの希望が叶えられたようで喜ばしいことであった。
この貴重な風景をいろいろなアングルでカメラに収めようというファンの姿があちこちに見られた。万世橋上からはもちろん、お茶の水寄りの昌平橋、博物館の屋上、「肉の万世」」ビルからの俯瞰(ここはレストランなので食事をしなければならない)などさまざまである。ただ相変わらずのマナーに欠ける一部の人たちによってあちこちに迷惑がかかったようなこともあり、「さよなら」の雰囲気に水をさすようなことになっているのは少々残念だ。
交通博物館の所在地は「東京都千代田区神田須田町」である。多くの人は交通の便がよく徒歩4分の秋葉原駅を利用するが、「神田の交通博物館」と呼んでいた私たちには須田町の名前を記憶に留めておきたいものだ。ある日の訪問には久々に神田駅から歩いてみた。途中の町案内板などにはまもなく消えてゆく「交通博物館」の名前が刻み込まれていた。
かつての都電の万世橋電停の次が「都内有数の都電の要衝」と言われた須田町であった。いまも後を引き継いだ都バスの停留所がある。バックのガードの「交通博物館」との組み合わせも消えてゆく。
※都電の画像は交博と都電も御覧下さい。
ついに秋葉原駅のスタンプからも「交通博物館」の文字が消え、「IT」が主役になった。しかし「万世橋」の名は残り、この駅を降りて通った「交通博物館」の名は多くの人の記憶にいつまでも残っていくことだろう。中央線の201系の車窓からは遺構見学コースの万世橋駅ホームをのぞくコーナーに集まった人々と模擬駅名標をながめることができる。これももうあとわずか・・・。