撮影時に残っていた東西方向の系統28・38の2本でいずれも日本橋以東を走るもので、交差点を越えていた系統(28)は短縮されてしまっており、交差点は渡るが降車場と折り返し用の軌道が敷設されているだけになっていました。28系統は都庁前(当時)ー日本橋間が昭和44(1969)10月に廃止された後、日本橋ー東陽公園ー錦糸町駅前を走っており、38系統は日本橋ー門前仲町ー東陽公園前ー錦糸堀車庫前(電車の行先表示はほとんどが「砂町錦糸堀」となっていました)で、2本だけとはいえ下町の貴重な足として常に賑わっていました。すでに道路下には営団地下鉄東西線が走っていましたがまだまだ都電も頑張っていたのです。
なお、この撮影後ほどなく(46年3月)に日本橋ー門前仲町が廃止されてしまい、38系統は日本橋から姿を消してしまいました。
※なお平日に数本、日本橋から門前仲町ー東陽公園前ー境川ー葛西橋というルートで「臨時29系統」という電車が運行されていました。これは本来の29系統とはほとんど違うルートを走るもので、ほとんど38系統と同じようなものでした。(本来の29系統は須田町ー浅草橋ー錦糸堀ー水神森ー境川ー葛西橋というルート)