※以前は長野県木曽郡楢川村贄川であったが平成17年(2005)4月1日に塩尻市に編入された
贄川宿は本陣が一軒で千村氏が、脇本陣も一軒で贄川氏がそれぞれ勤めていた。どちらも建物などは残ってはいないが今も同じ場所に子孫の方がお住まいである。
塩尻市に編入される前は贄川宿は木曽郡楢川村に属していたため、楢川村単独で立派なパンフレットが作られていた。村内には有名な木曽平沢や奈良井宿があったため、そちらが主体とはいえ、中山道の観光資源としての贄川宿も関所を含めて必ず紹介されていた。現在は塩尻市のパンフレットに掲載されている。
◇代表訪宿年月日
昭和63年(1988)6月24日( )天候 ※他にもあり
現在は塩尻市地域振興バス「すてっぷくん」の楢川線のバスが塩尻駅まで運行されている。宿場内の主なバス停は贄川駅ー贄川関所ー贄川公民館ー贄川上町など。※楢川線のバスは塩尻駅ー洗馬ー本山ー贄川ー平沢ー奈良井を経て権兵衛橋まで一日5ー6便の設定
◇駅スタンプ…現在は無人駅のため、なし。※かつては楢川村観光協会の作った広重の贄川宿の画と「是より南木曽路」の碑の図柄の駅スタンプが設置されていた。
DISCOVER・JAPAN時代…なし 「私の旅」スタンプ時代…なし ◇駅入場券…現在はなし 記念乗車券・入場券・オレンジカードなどの有無(特に宿場関連)…現在はなし
◇代表郵便局名 贄川局 旅行貯金済み 91局目風景印の有無あり (野263)贄川関所跡と、木曽路入口の道標 87-12-8より使用開始
〒局独自の宿場案内など…当局に設置の風景印の説明書きの紙がある
その他の宿場内訪問郵便局
なし
◇宿場関連のスタンプ
八角形の枠の中に贄川関所の建物を描き、上部に「NIEKAWA-JUKU 木曽贄川宿」の文字が入ったスタンプがあった。(周辺の宿場にも同一タイプのものが存在する)
◇宿場の形態、見所、町並みの面影、その他の印象
贄川駅前にはほとんど何もないがらんとしたたたずまいが印象的。国道が走っているだけで実に殺風景だが、南に少し歩き線路を越えると贄川関所跡の建物が見え、町並みもはじまる。この宿場も過去に何回も大火にあい、宿場時代の建物はほとんど残っていないといわれているが、いわゆる二階がせり出した出桁造りの家も何軒か見られ、それなりに古い雰囲気はそこかしこに見られる。
◇古い建物・町並みの保存度…(S・AーE) B’
※古い町並みとしては贄川宿の次の奈良井宿との間に漆器で有名な間の宿・平沢の集落もある(木曽平沢下車) ◇宿場内の博物館、郷土館など宿場資料展示施設贄川関所跡が駅寄りにある また大火をまぬがれた上町の町家(商家)・深澤家住宅(平成17年重要文化財指定)が貴重な宿場遺構として整備されている。
◇その他の街道・宿場としての見所宿場時代のものは消えてしまったが、各所に水場があり景観に彩りを添えている
◇観光パンフレット・宿場案内の地図などの有無@楢川村時代は村単独でA4サイズの観光パンフレットを発行しており、同村内の「贄川宿・平沢・奈良井宿」を主体にした編集がされていたが、現在は合併のため塩尻市の観光パンフレットに掲載されている。
A贄川宿単独のものとして「贄川区自治協議会」が宿場歩きマップなどがのったパンフレットなどを作成している。
@「信州 塩尻の旅」A4…表紙は奈良井宿の町並み写真。宿場に関しては奈良井宿、次ページ見開きで中山道・善光寺街道・三州街道を紹介 その中に贄川宿もあり、広重の画と関所跡の写真が掲載。
A「塩尻着、街道ロマン探訪の旅」A4…表紙は奈良井宿の町並み写真。裏表紙が「桔梗ヶ原で楽しむワイン」となっていて街道とワインの紹介主体のものになっている。内部は大きな観光マップで、街道紹介部分は「歴史と文化が交差する 宿場町探訪」と題して奈良井宿・木曽平沢を中心に郷原・塩尻・洗馬・本山・贄川の各宿場も簡単に紹介している。
江戸時代には尾州領、高なし。信濃国筑摩郡 宿内町並み 東西へ七町
天保14年(1843)の人口…545人(男304人、女241人)、家数124軒 本陣:1軒 下町…千村氏 脇本陣:1軒 中町…贄川氏 旅籠二十五軒 ◇広重.英泉の「木曽街道六十九次」の図柄…広重「木曾街道六拾次之内 贄川」 ◇宿場以外の現在の観光地、見所、宿場祭り、温泉・日帰り入浴施設など贄川宿に入る前の桜沢橋のたもとにある「是より南木曽路」の石碑は木曽十一宿の始まりのシンボルとして昔から有名である。桜沢で茶屋本陣を営んでいた百瀬氏が昭和16年(1941)に建立したもの。石碑の裏に「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、木曽路ハコノ桜沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」と刻まれている。