C57135のナンバープレート(模造品)があるがもちろん動輪とは関係ない。
この動輪がD511086のものとすれば、同機の動輪は他にも同じ道内の長万部某所、七飯町大沼の「ポッポ爺」、神奈川県横浜市の三ケ所に保存展示されているのが確認されている。1086は国鉄蒸機最終まで生き残ったカマであり、火災による保存機会を逸したものの、こうして複数の場所にその遺構が残されていることは特筆に値する。
横浜市の1086号の動輪(なるさわ様御提供)はこちら
D511086(横浜市の石碑の履歴を元に修正しました)
昭和19年5月19日、日本車輌製(製造番号1274)。新製後新鶴見区に配置、24年12月に水戸ー38年10月原ノ町と常磐線沿いの機関区を移動し42年に渡道。釧路(42ー8)ー追分(42ー11)と道内の主要線区で働いた。43年2月に滝川へ移り、根室本線や函館・室蘭本線で活躍し最後は追分区(51ー3ー10)であった。もちろん「日本最後の在籍蒸気機関車」のうちの1両となり保存も内定していたが、追分区の火災により被災し解体されてしまった。
エピソード
ひとつ上の兄・1085が和歌山県の藤並駅横(現在は移設)に静態保存されているが、彼も同じような生涯をたどり、やはり北海道で最後を迎えた。廃車は51ー3ー1岩見沢一区だが、ともに室蘭本線で顔を合わせて蒸機終焉まで活躍した。
エピソード2 第2動輪複数保存?の謎
同機の動輪は他に道内長万部某所(第2?)、七重町大沼「ポッポ爺」(第2?)、神奈川県横浜市の三ケ所にも保存されているが、このうち長万部某所・大沼「ポッポ爺」と横浜市のものは同じ「第2」動輪となっている。長万部某所のものが大沼に移設された可能性はあるが確認はとれていない。横浜市の方は設置されている「SLD51型動輪」と記された碑の履歴はほぼ1086号のものであるが(最後の「50年9月まで活躍・・」とあるのは微妙に異なる)掲載画像の刻印は「D511(1)○○」と読み取れる。「第2動輪」であることは間違いないのでもしかしたら他機のものかもしれない。1086号機の第2動輪が2組以上存在する、ということも完全には否定出来ないがこのあたりは今後の調査を待ちたい。