JR・伊豆箱根鉄道の三島駅南口からすぐの「楽寿園」内に保存されている。晩年は敦賀一区で小浜線などで働いたカマで当地にはあまり縁がなかった。長い間黄色などの色が一部に塗られた奇抜な姿であったが、最近の整備で本来の黒塗りに戻り、精悍な姿が復活した。
このC58322号の後ろに展示されている動輪は刻印部分の塗装が厚くて何号のものか不明であったが、最近の塗り替えで一部が剥がされて刻印が現れていた。それによるとこの動輪はC58294号の第二動輪で、目の前のC58322号と同じく昭和40年代から廃車まで敦賀一区に配属されていた仲間である。廃車もほぼ同時期のため、なんらかの事情で一緒に引き取られてきたのだろうか。また同県内の掛川駅近くに静態保存されているC5849号機もやはり46年に敦賀区で廃車になったカマで、不思議な縁を感じる。この動輪の詳細画像はこちら。
説明板も新しくなっていた。しかし以前と同じくこの322号の経歴などはいっさい記されてなく不満が残る。また内容も展示当時(昭和46年9月)のままで「蒸気最終を飾る候補機」といった標記などはやはり訂正すべきであろう。また「新製両数402両 現役(昭和54年)両数234両」という数字も意味不明で、新製両数の誤記?はともかく「昭和54年」とは…?仮に昭和45年の間違いとしても全配置両数とは合わず(昭和45年6月時点では205両前後)何を参考にされたのかがわからない。
同機のナンバープレートは以前は正面、側面とも赤ナンバーに塗られていたが、現在は黒に戻されている。ただ非公式側のキャブのものは赤のままである。
キャブ回り 製造所銘板が失われているが他は良く磨かれている。区名札と運用標入れには静岡県内最後のC58配置区だった沼津区の「沼」と遠江二俣区の「俣」が仲良く入れられている。また反対側には架空の「楽」(楽寿園の楽か)というものが入っている。
昭和17年(1942)4月30日 汽車会社製(製造番号2174)。新製後は北陸地区に配置され主に富山区などにあって高山線などを担当した。その後遠江二俣区に移り二俣線で働き、40年代には再び北陸の敦賀(敦賀第一)区に移動した。ここ敦賀区での小浜・舞鶴線が最後の職場となり46年10月の同線無煙化を待たずに昭和46年4月17日付けで廃車となった。
エピソード
静岡県内には同機の他に2両のC58が静態保存されているが、この322号と掛川市保存のC5849号(46ー8ー19廃車)は県内のC58最終運用線区であった二俣線や沼津区入換用とはあまり縁のない福井県の敦賀第一機関区で廃車となったカマである。両機とも小浜線の無煙化の直前に役目を終えたのであるが、その半年前の46ー3に引退した遠江二俣区のC58をなぜ保存候補にあげなかったのだろうか?という疑問があった。しかしながら同区のC58の多くは新天地での活躍のため転出したものが多かったためと県内でのC58保存の声があがる時期とのズレが関係しているように思われる。ただ322号に関しては戦後の一時期遠江二俣区に在籍していた記録もあることからあながち縁がないとはいえないのであるが・・・。
ちなみに二俣線で働いたC58末期のメンバーのうち、遠江二俣区で廃車となって県内縁の地に保存されたのは遠江二俣(現・天竜二俣)駅前の389号のみであるが、46ー3の無煙化後も他区へ転出し、その後廃車→保存となったカマとして215号と365号がある。(ともに最後は陸石管ー小牛田区)
また二俣のC58としてもっとも遅くまで残った(廃車が遅かった)のは長門へ転出し小郡で49ー6ー24に廃車となった99号であろう。