※実物ではないがそれに準ずるモニュメントということで掲載いたしました。「台座の説明によると、稲沢ライオンズクラブ40周年記念事業のひとつとして、2002(平成14)年の11月に設置されたもののようで、縮尺は2分の1、つまり直径は約700mmということになります。(吉野様)」
稲沢操車場と蒸気機関車
稲沢操車場はかつての国鉄の大規模な操車場で、 関東の新鶴見操車場や関西の吹田操車場と並ぶ日本三大操車場の一つとして数えらていた。1984年前後からその規模は縮小され、廃止ー撤去の路をたどった。
その操車場とともに歩んできたかつての稲沢第一機関区は東海道本線の一大拠点として機能し多数の蒸気機関車が煙をあげていた。SLブーム(昭和45年前後)の頃の主な仕事は名古屋港の入換(最後は主にC50)、東海道本線ー関西本線(稲沢操車場ー名古屋ー亀山など)であり関西本線はもちろん、東海道本線の名古屋ー稲沢に並行していた貨物線でもその勇姿を見る事ができた。
その稲沢一区在籍のD51はかつては数十両もの配置がある大機関区であったが、無煙化9ヶ月前の昭和45年6月には72、★155、179、☆192、203、369、★522、689、698、702、772、★823、★849、850、873、893 の16両が配置されていた。その後若干の入替えや廃車などがあって無煙化時の46年3月には★2・★201・★209・468・528・571・649・739・815・903がメンバーであった。 ※★は廃車後保存(他区へ移動後保存のものも含む、なお192は保存されたがのち解体…行方不明)
稲沢操車場入換の無煙化は昭和45年9月でD51や9600の運用を終了した。また稲沢一区の蒸機(D51)運用終了は46年3月で、46年4月25日にはD512+D51815の「お別れ列車(貨物)」が運転された。名古屋港入換のC50はそのあと7月頃まで運用された。(最後はC50101・143)
エピソード
愛知機関区の事務所前にはかつて名古屋港などで入換をしていた稲沢一区所属の記録もあるC5095(石碑に埋込まれたナンバープレートはC50101)の動輪が旧・稲沢機関区から移設されて保存されている。画像はこちら