関西本線・七尾線と続いた今回の撮影3日目は若狭の国を走る小浜線とした。ベースの北陸からは少々離れているが事前に近隣を見渡したところ、この時点で蒸機が健在なのは七尾線や金沢付近の一部の入換えを除くと福井からの越美北線ぐらいしかなかった。貴重な8620にも食指は動いたが、なにせ運転本数も少なく効率もよくない。結局敦賀まで足を伸ばし、若狭湾沿いの風光明媚な土地をゆくC58を訪問することにした。したがって粟津からはかなりの早起きをしなければならず、叔父さんにお願いして車で駅まで送ってもらい、6時18分発の急行電車にどうにか乗り込むことができた。
『・・さて粟津を6時18分に出た急行くずりゅう2号は一路敦賀へ向けて走っている。空は3日続きの雨雲が重くたれこめている。「まったくついてないなあ」と思いながらも「北陸トンネルを抜ければ雲もいくぶん減っているだろう」などとかすかな期待を心に描いていたのだけれど、それは見事に撃ち破られてしまった。敦賀に着いても相変わらず雲はどんよりとたれこめていた・・・。』
北陸トンネルを抜けて敦賀に着いたのち、まずは手始めにこの小浜線に運用されているC58たちの寝ぐらである敦賀第一機関区を訪問することにした。いまは第一・第二と分かれているが、かつて敦賀機関区と呼ばれていた頃は多数の蒸気機関車が配置され、北陸本線の重要な拠点として活動していた。
まだ北陸トンネルが開通する以前は駅の前後に急勾配の難所を抱えており、ここに配属されたD51は一番調子の良いカマが優先的に配属されたそうである。その「一線級のD51」でさえ乗務員を難儀させた峠越えに対して長大トンネル内での煙の流れを調節して運転室などへの流入を少なくするなどの効果を狙った『集煙装置』がここ敦賀機関区で開発されたのも難所を克服する意欲に燃えた国鉄職員魂と蒸機にかける並々ならぬ情熱があったからなのだろう。なおこの装置は予想通りの効果を発揮し、のち勾配・山岳路線を走る全国の蒸気機関車に普及した。パイオニアとなった「敦賀式集煙装置」の名は今も集煙装置を語る上で忘れられない存在となっている。
その山中越えや柳ヶ瀬越えに活躍したかつての英雄達の姿はすでに遠い記憶の彼方に去り、本線の蒸機も大方は消え機関区の規模も縮小され、今はこの小浜線に働くC58のみ10両ほどがわずかに煙をあげているのであった。しかし職員の方の応対も親切で、わずかに残ったSLを大切に整備する姿にやはり長年の「蒸機に対する愛着」があるものだなあ、と感じたものである。
私が訪問した時クラにいたのはC58171・202・212・325の4両であった。171は戦後まもなく敦賀に転入して以来、同区を一度も離れていない唯一のC58で、まさにこの庫の「ヌシ」といえる存在であるが、そんな素振りは微塵も見せず、転車台に乗って庫へ入るところであった。171以外の3両はいずれもこの春運用を終えた七尾区より最近同区に転入したカマばかりで、当然昨年の七尾線訪問でも見かけた懐かしい顔もあった。また202・212は七尾以前は関東にいて、八高線や横浜線で多くのファンの被写体となったカマである。202はお尻を向けて休んでいたが、212は八王子(高崎一)末期のスタイル(ちょっと離れた副灯と大型前照灯、十字の煙室扉ハンドルなど)のまま赤ナンバー&シールドビームの325とともに私を迎えてくれた。
※C58171は前述した履歴や過去のお召し列車牽引などの功績によって同線の無煙化時の「さよなら記念列車」の牽引にも選ばれ小浜線SLの掉尾を飾った。そして廃車後も縁の小浜市内に静態保存されている。保存画像はこちら(ちょっと古いものですが) 一時間ちょっとで機関区を辞しこれから小浜線内の撮影ということにした。計画ははっきりしていないのだがいくつかの趣味誌で得た資料を元になんとか数列車は撮影できるだろうと思いまずは小浜へ向かうこととした。
敦賀0926ー956D西舞鶴行→小浜1036
敦賀駅のホームへ上がるとちょうど小浜線の列車が着いたのかC58が客車とともに煙をあげていた。ナンバーは222[福]で、ゾロ目がなんとなく気持ちよいものだった。
雨は小降りながら相変わらずぽつぽつ降っている。そんな中いよいよ小浜線に足を踏み入れるべく9時26分発のDCに乗り込んだ。途中C58195[敦一]の牽く貨物列車などをスナップしながら約一時間で小浜線の中心駅でもある「小浜」に到着した。
『・・ディーゼルカーで小浜へ出た。反対側のホームをみると「いるいる!」C58が1両、と思ったら何とその前にディーゼル機関車がくっついているではないか!そういえばこの小浜線もこの10月で全面DL化されると聞いていたが、もう練習運転が始まったのか、と一瞬驚いてしまった。』
小浜に停車していたのは上り貨6974レで、先頭に立っていたのは DE101115(敦一)であった。次位にC58263[敦一]が付いていたのでおそらく無煙化に備えた練習運転の運用が始まっていたのであろう。撮影記にも記したようにC58が消える日がもう目の前に近付いていることを感じさせる光景であった。
まだどれぐらいの数のDLが入線しているのかわからず不安だったが、とにかく予定通り次に来る列車を撮るため東小浜方に移動した。駅を少し離れると田んぼが広がっており、のどかな雰囲気となる。11時3分に小浜を発車した下り客921レがその中をやってきた。牽いていたのは先程敦賀駅で会った222号の弟の223号で、こちらも数少ない福知山区の所属のC58であった。まずは蒸機牽引を1本撮れたことでホッとして今度は反対の勢浜側へ移動する。11時14分の上り貨物はさきほど見たDL+C58だったのでどうやらシャッターは切らなかったらしい。このあたりは現金なものだが限られたフィルムを大切に使いたかったのだろう。その後しばらく待つと11時55分頃トンネルを抜けて下り貨6975レ(6973レ?)がやってきた。こちらのカマはC58252[敦一]で、43年12月に稲沢一区より転属してきたカマである。シールドビームの他は特に目立たないスタイルのようだった。
一段落したので駅へ戻ったが、ホームにはさきほどの6975レがまだ停車していたのですかさずスナップをする。運転室周りの製造所銘板や区名札、それに運用標などがきれいに揃っていたのが嬉しい発見だった。
これで小浜駅周辺での撮影は終了し場所を移動することにした。相変わらずの駅前写真ばかりだが、けっこう田園風景もあったし曇天の中でもまあまあのものが撮れたことでまずはホッとした。