開館80周年を迎えた2001年(平成13)年にはそれを記念した特別展が開かれた。新しい展示物の搬入などもなくこれといって盛大な催物は将来の移転話も出ていた時期でもあり行われなかったが、何と言っても目玉となったのが今まで非公開であった「旧万世橋駅遺構」の限定公開であった。これは館内に残るかつての万世橋駅の施設の遺構(通路・ホームへ続く階段など)を期間中一定人数に限って公開するものであった。たまたま某日の見学コースに参加し、普段日の目を見ないこの遺構をたっぷりと見学することができた。 おそらくこれが最初で最後の公開になるであろうが、昭和初期の都心のターミナル駅の遺構が今も息づいていることに感動し、鉄道史や日本の建築史を語る上でたいへん貴重なものであることを再認識した。
中央に見える「荷物搬入用シャッター」のあたりがかつての駅中央玄関(上の駅舎模型参照)のあったところで、乗客はここから万世橋駅の建物へと入っていった。ここを入ると現在は1号機関車と模型鉄道パノラマの間となるが、さらに直進すると小階段をあがった自動販売機などのある休憩スペースがある。この場所こそが高架上のプラットホームへと上がる中央階段の跡である。ここは博物館が建てられた後もホームからダイレクトに入館できる「特別来館口」として活用されていたため撤去されることがなかった。休憩室が階段を上がったところに設けられているのも旧階段の踊り場を活用しているためで、ここから先は左に曲って、さらに壁の後ろへと階段が続いている。
裏面は復刻の意味の説明だが、偶然にもNoが0123だったのが嬉しい
このD51426は昭和15年(1940)7月24日、日本車輌製(製造番号801)で、新製配置は北海道函館と思われるが、ほどなく内地へ戻り尻内(のち八戸)区に移動、東北本線北部で主に補機仕業などをこなし長く尻内で過したが、「ヨン・サン・トオ」で役目を終えはるか西日本に転属した。最後は厚狭区で美祢線で働き47年4月28日に同区にて廃車となった。
※なお同機の動輪も広島県土地開発公社三次用地事務所前(旧国鉄三次機関区跡)に保存展示されている。画像はこちら
万世橋駅と新築の鉄道博物館が併設となったのが1936(昭和11)年4月のことであるから、この本館が建築されて来年(2006年)ちょうど70年となる。とてもそんな年月を感じさせない瀟酒な外観を誇っているが、内部は老朽化が進み、またバリアフリー対策もできず移転車輌の搬出にも支障があるなどの理由で惜しくも解体となってしまうのは誠に残念だ。
本館4階にはかつての「こだま形」食堂車(サシ151)を模したつくりの食堂がある。営業時間も短くメニューも少なくなってしまったが、昔はもっと本格的なスタイルで営業していたような記憶もある。しかし室内はまだクーラーユニットや一部の窓などにかつての面影を残している。あとわずかとなったこの場所で「名残りの食事」などしてみたいものだ。
本館の屋上からは旧万世橋駅のホームの遺構や、側を行く中央本線の列車、そして遠方には総武線の橋梁や秋葉原・御茶ノ水の風景が見渡せる。あたりはすっかり大きなビルが立ち並んでしまっているが、ここに立って行き交う車両を眺めることも鉄道ファンの楽しみにひとつであった。