昭和46年初めの頃はまだ「お江戸日本橋」には都電が残っていました。日本橋を渡る系統(19・22など)、交差点でクロスして(正確には東京駅方面への路線はすでになく、折り返し線となっていたが)深川や錦糸町へ向かう系統(28・38など)があり、都心最後の都電の賑わいをわずかでも感じられるところでした。
この画像に見られる「20」の系統板を付けた車両は、「臨時20系統」のひとつであり本来の江戸川橋〜神明町車庫〜上野広小路〜須田町の運転区間とは別に途中の神明町車庫を始発とし、須田町から先を延長して通三丁目まで運転していました。したがってこの撮影日には廃止間近の系統を含めて5系統もの都電が日本橋を走っていた訳です。
40数年後の定点撮影。交差点脇の「赤木屋証券」の看板などはほとんど変わっていません。バックの東急日本橋店も1999年に閉店し、2004年に開業した新しい商業施設ビル(日本橋一丁目ビルディング COREDO日本橋ほか)が偉容を誇っています。