有形文化財に指定された貴重な民家が並ぶ本山宿を代表する風景
本山宿は信濃十五ヶ宿の最後であり、木曽十一宿への入口の宿でもあった。また松本平からの出口として松本藩の口留番所も置かれ、重要な宿場として賑わってきた。しかし明治以後、国鉄中央本線の駅は隣の日出塩村に設置され町は発展から取り残されてしまった。その結果逆に古い町並みが失われずに残り、今では国道19号線もバイパスを通ったため静かで落ち着いた景観を保っている。無論何度かの大火で宿場時代の建造物や当時の本陣・脇本陣などは残っていないが、一部には出桁造りの旅籠の面影を残す建物もまだ数軒ある。この宿場の維持や景観を保つための取り組みもいろいろされており、平成5年(1993)頃からは宿内の各家屋には江戸時代の「屋号」を書いた表札がつけられている。
京方を見る 江戸方から小林家住宅(屋号:川口屋)、田中家住宅(池田屋)、秋山家住宅(若松屋)の家並
本陣跡の向い側に数軒連なっている民家群は往時の宿場の面影を残すものとして本山宿が紹介される時は必ず写真に使われている風景である。いずれも江戸時代以降の改築であるが、宿場時代と同じ造りや家並配置であり、また明治を過ぎても多くが旅籠などの経営に携わっていたため貴重な宿場遺産として、国の有形登録文化財としてそのうち3軒が平成23年(2011)1月26日に登録された。
江戸時代には松平丹波守領分、高332石。信濃国筑摩郡 宿内町並み 南北へ五町。天保14年(1843)の人口…592人(男297人、女295人)、家数117軒。本陣:1軒 中町…小林氏、脇本陣:1軒 中町…花村氏 旅籠三十四軒
本山宿の本陣は代々小林氏が勤め、中世の本山城のあった館の跡に置かれていた。この建物は信州に多く見られる「本棟造り」といわれる形式の少し変形したもので、宿場時代のものではないが明治13年の明治天皇の御巡幸の際に宿舎として建てられた歴史あるもの。
本山は江戸時代からの「そば切りの発祥の地」ともいわれ、文献にも残っている名物であった。その後すたれてしまったが、平成3年、地元の人たちによって地元産のそばを使って打ったそばを味わえる、この「本山そばの里」ができた。かつての宿場の名物が今も味わえる。