※SL夢ギャラリー「ポッポ爺」は2006年4月オープンとのことだが、この動輪が当時から展示されてあるのかどうかは不明。
D511086
昭和19年(1944)5月19日、日本車輌製(製造番号1274)。新製後新鶴見区に配置、24年12月に水戸ー38年10月原ノ町と常磐線沿いの機関区を移動し42年に渡道。釧路(42ー8)ー追分(42ー11)と道内の主要線区で働いた。43年2月に滝川へ移り、根室本線や函館・室蘭本線で活躍し最後は追分区(51ー3ー10)であった。もちろん「日本最後の在籍蒸気機関車」のうちの1両となり保存も内定していたが、追分区の火災により被災し解体されてしまった。
ひとつ上の兄・1085が和歌山県の藤並駅横に静態保存(現在は移設)されているが、彼も同じような生涯をたどり、やはり北海道で最後を迎えた。廃車は51ー3ー1岩見沢一区だが、ともに室蘭本線で顔を合わせて蒸機終焉まで活躍した。
エピソード2
第2動輪複数保存?の謎
同機の動輪は他に道内長万部某所(第2)、道内岩見沢市(第4)と神奈川県横浜市の三ケ所に保存されているがこのうち長万部某所と横浜市(西横浜駅)のものが同じ「第2」動輪となっている。長万部某所のものがここに表示のものが移設された可能性はあるが確認はとれていない。また横浜市の方は設置されている「SLD51型動輪」と記された碑の履歴はほぼ1086号のものであるが(最後の「50年9月まで活躍・・」とあるのは微妙に異なる)掲載画像の刻印は「D511(1)○○」と読み取れる。「第2動輪」であることは間違いないのでもしかしたら他機のものかもしれない。1086号機の第2動輪が2組以上存在する、ということも完全には否定出来ないがこのあたりは今後の調査を待ちたい。