汽車の思い出その1 七尾線紀行

七尾線その1

昭和45年(1970)8月

第一回目は私の最初の遠出撮影旅行となった北陸七尾線です。

訪れたのは昭和45年(1970)の8月のことでした。この頃といえば43ー10で大幅に煙が消えたとはいえ、北海道には急行「ニセコ」のC62重連、本州でも矢立峠や布原の3重連が健在でしたし、呉線や鹿児島本線の大型蒸機も45ー10を目前に最後の活躍をしていました。当然趣味誌の記事を見て「行きたい!」と思うわけですが、遠方へのひとり旅など許可されるはずもありません。しかし蒸気機関車に会って写真を撮りたいという気持ちは押さえられません。そこで夏休みに大阪万博に家族旅行をする、というついでに当時石川県に住んでいた親戚宅へ寄ることが許されたのです。

親戚宅のある石川県小松市の近くでまだ蒸機が走っているところといえば、営業線では能登の七尾線が一番近かったのです。というわけで私の遠出撮影のスタートは意外な路線となったのでした。七尾線といえば46年以降は『ふるさと列車 おくのと号』や『能登のC56』で有名になったところですが、45年といえば前述のような有名線区があったたためか訪れるファンも少ないようで、当然撮影地ガイドなるものもあまり本などでは見かけませんでした。ただ鉄道ファン106号(70ー2)に「七尾線に蒸機を追って」というダイヤ付きの記事がありましたので、これを参考にすることができました。とはいえ初めての撮影旅行、本格的に走行写真を撮るわけでもなくただ「汽車に会える!」という気持ちだけいっぱいでしたので、残せた写真はあまり大したものではありません。そしてなぜか主体はC56ではなくC58ばかりとなっております。これは時間の制約などで七尾より奥へは行く勇気?がなかったからかもしれません。


七尾線のC58ですが、前述したファン誌の記事によれば当時(44年12月)七尾に在籍していたC58は132・140・154・159・216・324・325の7両で、このうち216はかつてお召し列車を牽引したカマでした。その半年後の45年6月には若干の入替えがあり、高山区より266、美濃太田区より368が入り132が廃車となっています。また45ー10で無煙化された首都圏よりその日を待たずに高崎一区より202・212・263の3両が転入しています(45年7月)。私が訪問した時の記録にも扇形庫にいる212号が確認できました。なおこの高崎からの3両のC58と325号は、七尾線の引退でも廃車とならず、揃って同管理局最後の職場である敦賀一区に移動して、わずかの期間でしたが小浜・舞鶴線などで活躍しました。その時の姿もまたお目にかけることができると思います。


さて8月のある日、早朝に親戚宅を出て金沢から津幡へ行き、ここで初めて七尾線の蒸機と対面しました。下り貨物列車を牽いて停車中のC58266です。

津幡駅にて C58266[七]

記録によれば44年10月に高山から転入してきたカマで、赤ナンバープレートが目立っていました。これをスナップし後続の列車で七尾線へ入るまでの間に8時3分発の金沢行324レが到着しました。この旅客列車もC58牽引で、今日は首都圏からの転入組の263号でしたが、考えてみれば先ほどの266号とは3番しか違わない兄弟機なのでした。

朝の上り通勤列車322レを牽くC58263[七]
同上 津幡駅にて C58263[七]

同機は七尾線での活躍後、僚機とともに敦賀第一区に移動しそこで廃車になりました。その後解体されましたが、幸いにもその動輪が静岡県の三ヶ日に保存されています。画像はこちら

蒸機牽引の旅客列車とは貴重な存在で、この当時七尾線には朝夕1往復ずつの4本が残っていましたが、それほど気にもせず簡単にスナップしただけなのは悔やまれます。
 津幡8時36分の普通DCで七尾線に入りましたが「さて どこへ行こう?」という思案の末、何となく中間駅で大きそうな羽咋まで乗車することにしました。ダイヤ上でもC58に会えそうなスジでした。羽咋に9時半頃着き、接続していた北陸鉄道能登線の車両などを写しているうちに上り貨物が到着しました。赤ナンバーもりりしい140号でしたが、このカマだけが後年「ふるさと列車」の牽引機となって生き長らえたのでした。保存もされましたが近年解体されてしまったのは残念です。

上り貨物を牽いて到着の140号。赤ナンバーのため白黒では見えにくくなっています。

とりあえず3両のC58に会えてホッとしたわけではないのでしょうが、この後来るはずの列車を撮影した記憶がありません。駅を出て行く下り貨物の姿が1本あるだけなのがちょっと謎なのですが、とにかく羽咋11時17分の333Dに乗って七尾へ向かいました。30分ほどで到着し、すぐやってくる163レ(貨物)を撮影すべく駅の津幡寄りへ歩きます。このあたりは前述のガイドにも出ていたポイントなのですが、上り列車が発車して勾配もあるので煙を吐く、ということからみても到着する下り勾配の列車がほぼ絶気でやってくるのはわかりそうなものですが時間の制約もあったのか、はたまたあまり考えもしなかったのかわかりませんがここでシャッターを押したものはこんな平凡なもの、ただC58が写っているといっただけのものになってしまいました。もっともそれで充分満足したものでしたが・・・。

七尾駅に到着するC58159[七]牽引の下り貨物列車

駅へ戻り機関区でも行ってみようか、と思ったのですがどうも撮影許可を求めるのが苦手で結局周囲から二三枚スナップしただけでした。その中に扇形庫にいる212号(副灯が付いている)と思われるC58や4両いたC56のなかの1両153号などが写っていました。

 
七尾区隅にいたC56153[七] 右は上部の扇形庫の拡大 C58212らしき姿が見える

当時の七尾のC56は123・124・153・154の連番の2兄弟機が揃っており、すべて正面形式入りプレート(一部は側面も)で人気がありました。長野の111や糸魚川にいた125と合わせて晩年までこのプレートを付けたC56が周辺に残っていたのも面白い事実です。ただこのメンバーも本格的なブームを前に45年12月でまず154が廃車、続いて46年4月に私が会った153が廃車となり、能登のC56は90番台や160、また後年は小海のメンバーなどが転入し、この連番×2の揃った時代に訪問されたファンは少なかったような気がします。なお残った123は48年6月に廃車(七尾市に保存されたが今は動輪のみの保存)、最後に残った124は木曽福島へ移って「本州最後のC56」の1両になっています。


このC56を撮ったあと何だかホッとしてしまい、上りのDCに乗って津幡から金沢へと戻り親戚宅に帰って日帰りの簡単撮影行きは終わったのでした。津幡では夕方の通勤列車323レのC58を見ましたが朝の263号だろうと思いシャッターは一枚しか切りませんでした(今朝羽咋で会った140号かもしれません)。まだディスカバージャパンも始まっていなかったので、記念スタンプなども残らなかった旅でした。

 
帰りの車窓でみた夕方の下り客323レ、牽引は右の仕業票からC58140だろうか

おしまい

次ページは羽咋駅でスナップし北陸鉄道能登線の車両です。あわせて御覧ください。
北陸鉄道能登線の車両


七尾のC58その後

C58140 無煙化後も「ふるさと列車」牽引用として残る

C58154 45ー10ー26廃車

C58159 46ー6ー21廃車

C58202 敦賀一区へ転出

C58212 敦賀一区へ転出

C58216 46ー12ー25廃車

C58263 敦賀一区へ転出

C58266 46ー3ー8廃車

C58324 廃車

C58325 敦賀一区へ転出

C58368 46ー4ー23廃車


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