現在は「荒川線」のみが走る現在の東京都電。本格的な路線は今から約40数年前の昭和47年(1972)11月に下町中心の5路線の廃止によって消えてしまいました。架線柱や敷石などの都電の遺構ももうほとんど見られなくなってしまいましたが、かつての都電の姿を描いたものは今でも街中、あるいは「昭和レトロ」をイメージした雑誌の広告やイラスト、看板の中の絵などに発見することができます。それだけ多くの人々に都電が愛され、また交通手段としてのイメージとして今でも記憶の中に定着していることの証なのでしょう。そんな街角や本などで見かけた「都電」の姿をいくつかピックアップしてみました。
新宿三丁目の甲州街道と青梅街道の分岐点、「追分」の交差点上にある「新宿追分」を記したプレート。この中にも都電(6000形のような)のイラストが描かれています。4両描かれていますが全部同じもので、塗り分けは少し前のもの、一見川崎市電の700形あたりを思わせるスタイルです。往時新宿駅からは11ー13系統の電車が発着していましたがこの追分付近も通っていましたので、街道の分岐点の賑わいを象徴する交通機関として描かれたのではないでしょうか。
この写真は砂町銀座の七夕まつりかなにかの時の装飾です。通りの上から下がっているのは都電の作り物でしょうか。「国際児童年」の看板がありますので昭和54年(1979)ということがわかりますが、ここ下町の砂町から都電が消えてから7年ほどたっています。「28」の系統板がちらっと見えますね。ただ塗装は当時の荒川線の青ラインになっているのが微妙なところです。右の写真は荒川線になって間もない頃の昭和53年(1978)の早稲田電停の7500型で、この頃の塗装がこの装飾のモデルになっているのでしょうか。
日本橋のひとつ先、茅場町の交差点近くにある東京証券会館ビルの一階に「日本橋茅場町百景」という周辺の歴史を綴ったイラストが展示されています。江戸時代から現在までの様子を浮世絵や写真、イラストで紹介していますが、その中に昭和47年(1972)まで目の前を走っていた都電の姿を描いたものもありました。イラストの内容は茅場町の電停に停車する28系統3179のようで、当時主役だった3000型を描いてくれているのがなんとも嬉しいものですね。
ちょうど現役時代に同じ様なアングルで撮影したものがありましたのでアップしました。まもなく廃止となる昭和47年(1972)11月の撮影です。電停の位置や地下鉄の出入口とそのうしろの証券会社の看板はほぼ同じのようです。
2005年頃に杉並区の大宮にある「杉並区郷土博物館」に都電が図柄のスタンプがありました。これは区内の青梅街道を走っていた都電14系統の主役だった2000型がデザインという貴重なものです。他の都電のスタンプというと荒川線の車両のものが多く、まれに6000型風のものがあるぐらいですが、ここではやはり2000型なのでしょう。図柄のイメージは近くにあった杉並車庫に憩う2両、といったものですが、一両には2011号とナンバーがはっきりわかるのも嬉しいものです。ただ残念ながらこのスタンプは今は使用されていません。